2008.04.21 (Mon)
世界で初めて出産した「男性」
女性から性転換した「男性」が妊娠という、米オレゴン州のトーマス・ビーティさんのニュースは世界中の話題をさらいましたが、実をいうと世界で最初に妊娠した「男性」は彼ではありません。
いまから十年ほど前、娘を出産した「男性」がドイツにいました。サンデー・エクスプレス紙のインタビューに、出産以来ずっと沈黙を守ってきたこの男性が応えています。男性および娘の画像も初出とのことです。
「妊娠したのは、ちょうど博士号をとるために勉強をしていた時だったね。教授に妊娠していることを告げた時、こう言われたことを憶えてる。『私が君の彼女の状況を知ってどうする』とね。ちがうよ、教授、妊娠したのは僕なんだと言ったときの教授の表情といったらなかった。まあ僕にしてもそれまで先例はなかったし、自分自身でおかしかったのも確かだけどね」
こう語るディランさん(仮名)。40歳。現在はドイツのとある会社の役職を務めています。
ドイツの保守的な家庭に育ったディランは、三姉妹の長女でした。父親はエンジニア、母親は教師で、幼い頃は、悪影響を受けるからとテレビを観ることは禁止、新聞さえも見せないこともしばしばだったといいます。しかしそんな家庭にあって、ディランは女の子の服を着せられることだけは頑なに抵抗したそうです。
「学校では「男の子」で通していたんだ。15の頃には父親の服を着てたしね」
もちろん今とちがって、性同一性障害という言葉そのものがなかった時代。クラスメートの男の子は彼を無視し、女の子は避け、ディランはひとり孤独でした。
「そこでボーイスカウトにはいったんだよ。ボーイスカウトというのは性差はあまり関係ない。制服だってたいしたちがいはないしね。そこでようやく友だちができたんだ」
こうして二十代なかば。ディランは胸の小さな膨らみを隠しさえすれば、どこから見ても「男性」でした。より完全な「男性」目指して、ディランはホルモン注射と性転換手術を受ける費用を貯めはじめます。しかし一方で、ディランの心のうちには、家族を持ちたいという欲求も芽生えてきました。そのときのことを彼はこう説明します。
「ごく当たり前のトラディショナルな家庭に育ったということもあると思うね。つまり「男性」というもののイメージは、僕のなかでは「父親」と同義なんだ。だから男性になるということは、すなわち父親になりたかったんだと思う」
これもまた父親になりたかったゲイの友人とともに人工授精してくれる医者を見つけたディランは、受精卵を子宮に着床させます。
「徐々にお腹が大きくなっていった。そのとき、ショップですごく太った男の子を見かけて可哀想に思ったことがあるよ。だって僕のお腹は出産すれば凹むんだしさ。あとはとにかく、おっぱいも大きくなっていったけど、ダブダブの服を着てれば誰にも気づかれなかったね。というより、周りが男が妊娠するという考えには至らなかったという方が正解かな」
出産はディランにとっても予想外の痛みを伴ったといいます。
「ごく親しい友人にだけ、妊娠を明かしいてね、そのうちの一人の女の子が助産を買ってでてくれた。陣痛がはじまったのは、家でシャワーを浴びてた時。病院に運び込まれてもなかなか産まれなくってね。もう帝王切開しかないと諦めたとき、突然、ポンと産まれたんだ。午前4時だった。でも僕は出産を終えると病院にいることが耐えられなくってきてね。数時間後には退院して家に戻ったよ」
娘、ジョアンナは母乳で育てたそうです。その理由は子供とより近しい関係になるため。三ヶ月、母乳保育をしたディランは、ここでおっぱいを与えるのをやめると、ジョアンナが物心つく前にパパになろうと、徹底的に性転換手術を受けることを決意します。ジョアンナがよちよち歩きを始めるころには、毛深い足、がっしりした顎、そして深みのある声をもつ「父親」がそこにいました。
「ジョアンナの生物学的な意味での父親は、車で二時間離れたところにいるよ。たまに遊びにくるしね。仕事の都合やなにかで、滅多に父親に会ったことがないって子供がいるけど、ウチにはそれはないかな。なにしろ二人の父親がいるんだからね」
ジョアンナは今年で十歳。最近、学校の授業で両親の写真を持ち寄り、自分の親について説明するという課題があったそうです。もちろんジョアンナも父親二人の写真を学校に持って行き、自分の生い立ちと家族関係を話しました。それについて苛めを受けたこともなかったそうです。彼はこう結びます。
「僕のように、性転換しても子供を産みたいという人はたくさんいると思うよ。じっさい子供を産み育てるということは素晴らしい経験だし、家庭というものは、もてばいつしか自然と周りに溶け込むものさ」