2009.02.28 (Sat)
屁股(お尻)に日の丸。「抗日」の女性画像がネットで論議

―成都商報、中華網論壇(画像)―
さて、「商丘到烏魯木斉的列車」のレスではほぼ孤立無援^^; どなたかの助けを求めたかったりしますが、それはまあ、おいといて。
こちら画像は、ここのところネット上の大きな掲示板に載せられ、話題となっているもの。
ショーツの屁股(お尻)の部分に日の丸を配して「抗日」、前には「莫忘国耻(国恥をわすれることなかれ)」などと書かれ、いかにも日本を挑発している画像ですが、各掲示板では以前、精華大学の掲示板に自分の写真を貼りつけて一時、ネットアイドルとなった芙蓉姐姐同様、この女性を単なる「目立ちたがり」としながらも、女性の行為そのものにはネットユーザらから多くの支持があつまっているようです。
画像に添えられていた説明によると、女性は自分を「美人思」と名乗る高校生。
かつて、ネットに載せた自分の写真を「日本の女優」に似ていると言われ、はじけてしまった彼女は日本に行って本格的に勉強をしようと試みましたが、日本ではその顔立ちが「あまりに美しい」という理由から丁重に断られ、以来反日の道をひた走ることになったのだそう。ただし、確実な情報ではありません。
しかしながら先日の「毛沢東の立像にまたがった女性」とも比べられ、「彼女の行為は現代の若者に先の大戦でうけた「国恥」を喚起させる」などとの支持の意見が多く、まあ一種異様な雰囲気。
ちなみに記事下の掲示板に寄せられた書き込みのうち、「私もそう思う」は、多い順に

2009.02.27 (Fri)
八つ子の母親、スールマンがアダルトビデオに出演?

八つ子の母親、ナディア・スールマン(33歳)ですが、複数のアダルトビデオメーカーより、100万ドル(約9800万円)という破格の金額でオファーを受けていることがわかりました。
最近ではホームページを開設し、寄付を募っていたスールマンですが、全世界より脅迫メールが殺到。
また未払いの出産費用など23,000ドル(約226万円)の負債があり、病院側からは赤ちゃんの引き渡しを拒まれているにもかかわらず、プール付きの豪邸に下見に訪れるなどあいかわらずのスールマンですが、この窮状に米アダルトビデオメーカー大手の「ヴィヴィッドガールズ(Vivid Girl)」らが100万ドルの契約金および一年間の健康保険つきで彼女のビデオ製作に名乗りを上げたもようです。
「ナディアさんは現在育児に関してあきらかに援助を必要としています。そこで我々は彼女に対し、最低金額の100万ドルを提示しました。撮影は一週間弱。我々はこれまでにもシングルマザーに対し、ビデオを撮ることで貢献してきた実績があります」と述べるのは、「ヴィヴィッドガールズ」のスティーブン・ハーシュ氏。
また、ハーシュ氏によると、他の出演女優とおなじようにスールマンに相手役の男優を選ぶ権利があり、その相手役には、結果的に彼女のすべての受精卵に精子を提供した、通称「オクトダッド」でもかまわないとしています。
実現すれば彼女のビデオは、これまで元ミスUSAのケリー・マカーティなどが出演した「ヴィヴィッド・セレブ」シリーズに収められるとされ、また同社のケーブルテレビから配信される可能性もありそうです。
ビデオ題名の候補は「オクトパシー」。もちろんあの007のパロディーですが、もしかして相手は8人?
※追記 : ビデオのプロットがわかりました。相手役はやはり8人。8つのシチュエーションでセックスすることを求められているのだそうです。しかしながら、スールマンは「誰があたしのハダカを見たいっていうの」と、現在否定していると伝えられています。

八つ子の赤ちゃん誕生8日前
八つ子の赤ちゃんの上の3人の子供に障害
八つ子を産んだ女性、出産後初の会見―子供時代の孤独の代償だった
カリフォルニア州で、アメリカ2例目となる八つ子が誕生
2009.02.26 (Thu)
野良猫を殺し、肉を食って皮を木に貼りつけた元教師―中国

―華商網―
ここのところあちらこちらのフォーラムに載せられている、木に貼りつけられた猫の皮の画像に、中国ネットユーザからも、いつになったらこうした虐描事件を取り締まる動物愛護法ができないのかと怒りの声があがっています。
画像はここ二、三日の間に、天涯、猫撲、華商網など中国国内でも大きな掲示板に載せられたもので、「惨無人道、殺死流浪猫吃肉後還剥皮縛在樹上」と題されたもの。
貼られている5枚の大判の画像は、いずれも木の幹に猫の皮を貼りつけたもので、殺害する場面などは載せられていません。画像にはこう添えられていました。
最近、休暇で実家に帰ったところ、マンションに出没していた野良猫の数がずいぶん減ったように感じました。階下のおばさんに訊くと、マンション外の一軒家に住む人が猟犬を用いて野良猫を殺して肉を食い、皮を売っているのだそうです。
たしかに犬を飼っている元教師のことは聞いてましたが、まさかそんな話、私のことをからかっているのだろうと半信半疑でした。でも今日、その家の門の前を通ると、木の幹に猫の皮が貼りつけられていたのです。
通りがかった小学生に訊くと、猫の皮は何日かおきに新しいものと交換されるようでした。言葉もありません。
これに対してネットユーザからは猫を憐れむ書き込みが多く寄せられ、こうした残忍な行為をおこなった元教師に対し、人肉捜索を提案、現場は山東省東営市勝利油田近くのマンションと推定されたようですが、まだ確定には至っていないようです。
…とまあ、猫肉に関してはウチでも過去ログが多くありますから、そちらをあたっていただくとして、毛皮は敷き布団からコートにオーバー、子供服、帽子に至るまで、ウサギの皮よりも毛が硬いものの抜けにくく、人気があるとのことです。
2009.02.26 (Thu)
晴れるのは何時?

―現代快報―
画像は江蘇省常州延陵西路にあるマックの前、どしゃ降りのなか、逆立ちをみせて物乞いする女児。
さて、月末までにはまだ少し間がありますが、今月も〆のご挨拶。
更新頻度を上げてからコメントも多くいただけるようになりました。まあ、ゲッターさんは書き込んでいただける方が増えれば、多少は仕方のないことかもしれません。
そのゲッターさんが次に書き込むときに、何らかのコメントを残さずにはいられないような記事を見つけるのがわたしの務めなのだとも思います。
また、今月半ばからコメントに番号をいれてみました。
これは、世界最小齢のトランスセクシュアル、Kim Petrasのコメント欄をみて、コメントを書かれる方同士のレスや反論なども書きやすいようにしてみた次第です。FC2の仕様で、全体の通し番号になってしまうのがいまひとつなのですが。
あとは、林永くんに対する皆さまからのコメント、ひとつひとつ読ませていただき、胸が詰まりました。ありがとうございました。
今月もたくさんのアクセス、ならびに記事を取りあげていただいたサイトの皆さま、そしてなにより日々アクセスいただいたご常連の皆さま、今月もありがとうございました。また来月もお楽しみくださいね。
2009.02.26 (Thu)
6000ルピー(11,700円)で産んだばかりの赤ちゃんを売った母親―インド

産んだばかりの赤ちゃんをわずか6000Rs(ルピー)、日本円にして11,700円で売ったインドの女性が告発されました。
赤ちゃんを売ったのはインド南部、アーンドラ・プラデーシュ州の貧困地区に住む住む20歳の女性で、先週帝王切開で出産したこの女性は、2000Rs(3900円)の出産費用を払うことができず、ちょうど子供を欲しがっていたというリキシャの運転手に6000Rsで売ったということです。
また別の筋によれば、女性は赤ちゃんの父親に捨てられたため、ほかの男性と結婚する際に邪魔になると思い、売ったともいわれています。
アーンドラ・プラデーシュ州カンマン県警察のプラカシュ・ジャダブによれば、赤ん坊のを買ったとされるリキシャの運転手も起訴されたとのことで、有罪となれば最高で10年の懲役が科せられる見通しです。
2009.02.26 (Thu)
4年前のオスカー受賞作「Born Into Brothels」で主演した少女が売春婦に

A.R.ラフマーン(A.R. Rahman)がロサンゼルスのコダックシアターで金色のオスカー像を授与されたとき、彼女の印象的な瞳は涙でかすんだことでしょう。いまから4年前、2005年の2月に彼女、プリーティ・マッカジー(Preeti Mukherjee)はディレクターのザナ・ブリスキ(Zana Brinski)とともにたしかにあの場にいたのです。
第78回アカデミー賞で最優秀ドキュメンタリーに選ばれた「Born Into Brothels(売春窟に生まれついて)」に主演した少女たちのひとり、プリーティ・マッカジー(Preeti Mukherjee)が、オスカー受賞後1年にしてもとの売春宿に舞いもどっていたことがわかりました。
オスカー以外に世界各国で30以上の賞をうけ喝采された少女たちは、ディレクターの英女性写真家、ザナから多額の小切手をわたされ、ある者は結婚し、またある者はニューヨークの大学に通うなど成功をつかみかけています。
しかし、ひとり故郷の高校にもどったプリーティだけは、ザナからのたびたびの申し入れにもかかわらず、小切手をうけとった母親が離さなかったといいます。
「あたしは一人っ子だったし、ママが行かせてくれなかったの。そうね、家族からの強迫と呼びたいなら呼んでもいいわ。ふふ。実際単純なことなのよ。で、結果、あなたはここにいるあたしを見つけたってワケ」
現在、コルカタの売春宿「sonagachi」で客をとっているプリーティは、吐息にアルコールとタバコの匂いを混じらせてこう語り、うすく笑いながら肩をすくませました。
コルカタでも高級住宅地といわれるソルトレークにフラットを所有するプリーティは、彼女いわく「この年でこれだけ持ってるのよ」との言葉どおり、インドではサクセスストーリーをなし得たのかもしれません。
フラットにはコンピュータもあり、ザナとはいまでもメールのやりとりをしているといいます。また彼女を手放さなかったやはり売春婦だった母親のラキ(Rakhi)は別の建物に住み、プリーティはその生活費をも払っているのだそうです。
「sonagachi」の彼女の部屋の壁には、オスカー像を手にした彼女の色褪せた写真が貼ってありました。ふたたび目に涙を惨ませてプリーティは呟きました。
「いまあるのはこれだけよ…」
※映画「Born Into Brothels」ですが、日本では興行収入が見込めないとの理由でずっと公開されてませんでしたが、昨年末よりようやく「未来を写した子どもたち」として、細々とですが全国で観られるようになりました。
2009.02.25 (Wed)
南寧市民族大道にあらわれた裸女

―網易論壇―
こちらは広西省南寧市の民族大道にあらわれた裸女。
「悠然といささかの恥じらいもなく一日中街をうろつく姿に市民は吐き気をこらえきれず、関連部門が放置したままなのを嘆く。似たようなことが起こることを防止すべき。調べによると、こうした現象は広西省の各都市で起こっているようできわめて深刻」…なのだそうです。
2009.02.25 (Wed)
妻を見分ける決め手は赤いジャンパー:他人の顔が見分けられない病症―相貌失認(prosopagnosia)

―Mail Online―
イギリスの54歳の男性、バリー・ウェーンライトの最も古い記憶は、言ってみれば村八分、社会から隔絶されたようなものだったかもしれません。
幼児期から十代にかけての屈辱と混乱に充ちたエピソードの数々は彼を、自分は他人とはちがう、人間不信へと至らしめるのに充分でした。
「こんなことがありました。あれは7歳のときです。昼休みにクラスの友だちと話していたんです。お互いの家族や趣味について話し、それからボールを蹴って遊びました。ところが後日、彼が僕のところにやって来て話しはじめたとき、僕は彼のことが誰だか、またどうして僕のことをいろいろ知っているのかわからなかったんです」
「またこんなこともありました。街で女性からいきなり話しかけられました。5分ぐらい話していたんですけど僕にはその女性が母親だということがわからないんです」
バリーはこのことを最初誰にも打ち明けませんでしたが、両親は早くから不審に思っていたようです。自閉症もしくは精神障害の疑いをもたれて精神科医に診せられましたが、IQは高く、結果的に医者もやや性格に問題があるも普通の子と診断せざるを得なかったようです。
学校を終え、結婚し、化学技師の職を得て現在では、下は12歳から上は35歳の7人の子供に恵まれた彼が、自らの病気について知ったのは、3年前のことだといいます。
バリーの病名は「相貌失認(prosopagnosia)」。ひとの顔の見分けがつかないという社会生活を送る上では甚だ厄介な病気です。イギリスだけでも150万人いるというこの病気は、もちろん程度の軽いものからバリーのように先天性にして重度のものまでさまざまで、顔を認知するための情報を脳で処理する際になんらかの要因によって妨げられるのです。

バリーは学校を終えた後に研究室に閉じこもることによって、できるだけ社会との接触を減らす道を選びました。
「映画を観るとしますよね。それがまた問題なんです。たとえば主人公が次のシーンで服を着替えたら、もう誰だかわからないんですから」
靴、メガネ、相手と話している最中に「デイブは茶色の短靴を履いている―茶色の短靴を履いているからデイブにちがいない」などと相手の特徴を覚え込む煩わしさ。それは妻のマーガレット(現在53歳)と知り合ったときも同じでした。
「19のときに彼女と会ったんです。当時の僕は内気でひとりぼっちで、彼女にしてみれば粗野な人間に見えたかもしれません」
初めてのデートから数週間後、街でばったり出遭ったマーガレットを認識できないバリーに彼女はまごついたといいます。でも陽気なマーガレットはバリーが自分ではどうしようもできないことを知って、すべてを受け入れました。
結婚してからは、マーガレットがバリーの「眼」となりました。街を歩いて向こうから知り合いがやって来ると、彼女はそっとバリーにささやきます。「職場のピーターさんよ」
スーパーに買い物に出かけるときには、マーガレットは常に赤いジャンパーを着るなどし、バリーに見分けがつくようにしました。また子供たちはそれぞれ決められた色の服を着るようにし、バリーはヘアスタイルと併せて認識しました。バリーは自分の顔さえ見分けがつかず、職場の同僚などと写真を撮っても自分を探し出せないこともあるといいます。
そんな彼が自分の病気を知ったのは、出勤途中の車で相貌失認についての話をラジオで聞いたことでした。バリーは思わず「僕のことだ」と叫んだそうです。
1976年に最初の例が報告された相貌失認は、50%もの高い割合で遺伝するといわれてますが、その遺伝子はみつかっていません。またバリーのように子供が7人いても、まったく遺伝しなかったように、そのメカニズムもわかっていません。
「妻には感謝してます。愛すべき家族があり、仕事が安定したものであることも感謝しています」と語るバリーはこう付け加えました。「僕は相手がよく知ってる人かそうでないかにかかわらず、話をするとしたら会うよりも電話を選びます」