2012.08.30 (Thu)
息子のためにスカートをはいたパパ―ドイツ
―BuzzFeed、EMMA Magazine(独)―
ニルス・ピッカートの5歳になる息子はドレスを着るのが大好きです。
しかしベルリンから移ったドイツ南部の小さな町に住む、昔ながらの考え方をもつ住民たちにはそれは町ぐるみの問題にもなるのです。息子はやがてスカートをはかなくなりました。そこで不憫に思った父親はある決心をしました。
息子にスカートやドレスを着るなと言いたくはなかった。そんなわけで前にいたベルリンでは息子の友だちはいなかったよ。いろいろ考えてひとつだけ選択肢が残っていることに気がついた。
それは、小さな相棒の肩を持つために僕がスカートをはいてみせること。
就学前の子供が大人と同じように自己主張できるはずがない。それもロールモデルなしにね。だから僕が息子のロールモデルになってやろうと考えたんだ。
そうはいってもともにスカートをはいた親子連れを町の人々はギョッとした表情で見、保育園に通うようになった息子は同級生たちにからかわれます。
最初は週末の散歩からでした。そして次に息子の保育園への送り迎えに、ニルスはスカートをはくようにしました。
偉大なロールモデルを得た息子は最近ではマニキュアにも目覚めたようです。マントをスカートに替えたスーパーヒーローが彼の成長を後押しします。
とーさんのほうは明らかにわかるけど
せっかく息子がスカートを履かなくなって来ていたのに
今まで以上に好奇な目にさらされ、今まで以上に苛められると思う。
父の判断は正しいのか?
本人達の価値観に拠るものだから外野は批判は出来ないが
正直、心配はしても美談としては取れないです。
なんでも自分の型に当てはめて、周囲の目を気にして考えるのは良くない
自分の理解できないものを排除しようという風潮はまったくバカバカしい
自由な発想とそれを受け入れる基盤ができていない精神的に途上国
カトリックが多くてそこいら辺に十字架があったり
各教室にもあったりする
この州で同性婚が一時話題になったときは
「そんな連中はプロイセンにでも行っちまえ」
ってお年寄りが怒ってた
歓喜天さん
ドイツでは夏場裸足でその辺をふらつくのはよく見る光景です
蒸れるのが相当イヤなのかな・・・・
タンにドレスが好きなのならば、「家の中ではいいけれど、外ではやめようね」と諭すべき。
性同一性障害なら、女の子として育てるべき。
自分が死んでも一人で生きていけるように育てるのが親の役目。
このままでは単なる我儘な子になりそう。
ファッションは自分のもの。
自己表現は自分のもの。
虐められるのが嫌だと感じれば、その子は自分でスカートを脱ぐはず。
こんなお父さんの娘に生まれたかった。
うちの父親は、娘の価値観を全否定してその他大勢と横並びさせようと躍起になって、私はとても悲しかった。
素敵なお父さん。いいなぁ。
>「甘い」と「優しい」は違う。
自分にはこの親子の選択が「優しい」とは思えても「甘い」とは思えません。
むしろ茨の道でしょう。
>自分が死んでも一人で生きていけるように育てるのが親の役目。
>このままでは単なる我儘な子になりそう。
自分は、自分の我一つ通せないような大人が一人前とは思えません。
無難に生きていればそれはそれで1人でも平和に生きて行けるかもしれませんが、 周りを気にしてビクビクと自分の本音を隠して生きてゆく事を「人が生きる事」 人生だというならば、それはあまりにも窮屈で悲しい事ではないですか。
我儘を通すことを知らない人間になるよりは、我儘な子になってしまったほうがマシだと思います。
少なくともこの子自身にとってはその方がいいと思います。 子を想う父親だからこその決断でしょう。
人間は他人の為に生きてるわけじゃないですから
>タンにドレスが好きなのならば、「家の中ではいいけれど、外ではやめようね」と諭すべき。
>性同一性障害なら、女の子として育てるべき。
この子が性同一障害で、女の子として生きたいと言うならそう生きるべきだと思います。
単にドレスが好きで、着て外を歩きたいと言うのならそうするべきです。
この子が男らしく生きたいなら男らしく生きて、女らしく生きたいなら女らしく生きればいい
「男らしく」も「女らしく」も生きていけないなら、自分らしく 生きていけばいいと思います。
靴を履け!!!
ガラスとか踏んだらどうすんだよ
足の裏真っ黒じゃねーかよ!
安全と衛生だけは、きちっと締めるとこ
締めて欲しい。あとはどうでもいい。
ただし、まだ分別のつかない子供の嗜好に親が付き合ってやることは
履き違い。
ロールモデルであるというならば自分の信念に基づいたファッションを通すべき
なのでお父さん自身がスカートを履いてみたかったのであれば何も矛盾しない…かも。
子供は親の価値観の影響を大きく受けるわけで
少なくとも反抗期前までは常識的に躾けたほうが良いと思うし
何ら人格の軽視ではない。
子供が社会のありようまで解った上で異質な嗜好を見せた時
本質的に悪いものでなければ受け入れることができるかどうか
それが親の器じゃないかな
ドレスが好きならそれを通せばいいんです。
でもこの子はドレスを着るのをやめたのです。
我を通して「世間に何を思われても我が道をゆく」とするのなら、
親は応援・助言だけでいいのです。
我を通すという事は「我が道をゆく」という事。
「子供一人では進めないからパパも一緒にドレスを着よう」は違います。
それはパパの引いた道です。
自分らしい道ではなく「パパの思う、息子らしい道」です。
我侭を通すには、「他人の意見に逆らう」というストレスがあります。
他人の意見に従うと、「自分の思いを封印する」というストレスがあります。
この子はドレスを着るのをやめた。
ということは「自分の思いを封印する」より「他人の意見に逆らう」方がつらかったのです。
ならば、外で着ることをやめさせてストレスを軽減。
そのうえで「着るのなら家の中でね」とストレスの逃げ道も作っておくのがいいと思います。
我侭を通し「昔ながらの考えを持つ住民に、問題児とされながらもドレスを着続けた。」
ならば、父親は「昔の常識は未来の常識じゃない。未来を担うお前たちが常識を作ればいい」と
応援・助言をすればいいのです。
今はドレスを着るのをやめたとしても、ドレスを着たい思いが強くなったら、
その時にドレスを着させてあげればいいのです。
この子の選択は、ドレスを着るのをやめた。だから、
>「家の中ではいいけれど、外ではやめようね」と諭すべき。
としたのです。
なお私的見解ですが
優しい:物事の本質を考え、相手の先を考え、きつい事でも言える性格・行動
甘い:その場その場で嫌われないように、相手の都合のいいことを言う性格・行動
と考えています。
この親は1人で我侭を通すことができない我が子に対して「んじゃ、パパも一緒にドレスでいるよ」。
そんな行動に対して「甘い」としました。
そしてその先にあるのは、茨の道だと思います。
これは肉さんと同じ見解ですね。
夢、現実、理想、社会、ポリシー、リアル・・・その他もろもろの内の
何に着眼して語るかで正反対の意見になるのだと言う事が分かりましたね。
ただ、自身が現実的に同じ事を行えるかで意見も変わってくるだろうし
理想とするソレを行った人は賞賛されたりもするのでしょう。
同じ事を日本でやれば、褒め称える人もいるのだろうけれど
大抵は好奇な目で見られ、つま弾きにされるのも確か。
それが社会に生きる事だと思う。
それで他人に迷惑をかけてはいけないけれど。
好きな服を着るくらいなら、いいじゃありませんか。
もしかしたら、性同一性障害かもしれない。
もしかしたら、子供の時だけの好奇心で、そのうち飽きるかもしれない。
どちらにしても、子供の感性を否定しないで受け止められるこの父親を私は素晴らしいと思う。
しかし、なぜ素足なのでしょうね。
これも何か、こだわりがあるのかな。
教育方針が根本的に間違ってると思いますね
性同一障害がなにかすごくいいもののように感じてる女性が多いようですが、
読む限り同性愛と性同一障害の区別すらろくについてない人間がなにを勘違いしてるのかと
親だけは何があってもいつでも子供の味方じゃなきゃだめだと思う
このコメント欄において、性同一性障害についてすごくいいもののように語っている女性というのは、みあたりません。
まして、同性愛と混同しているような書き込みなどどこにもありませんが、何を勘違いなさったのでしょう。
もしかして、私のことを言っているのかな。
だとしても、たった一人であって、「多い」なんていうのは尾ひれつけ過ぎです。
それに、私は女装癖の原因の可能性の一つとして示唆しただけで、その良し悪しについては言及していませんよ。
それから、育児に王道なし、教育にもしかりです。
たとえば、集団生活がうまくできず学校に行かなくなった子供がいたときに、ある親は殴ってでも引きずってでも学校に連れて行き、
別の親は子供の意志を最優先し子供に合う別の学校を探した、としましょう。
どちらが正しいか、根本的に間違っているかなんて、誰にも言えません。
引きずって学校に連れられた子が、そのおかげで精神的に強くなり、長じて親に感謝する場合もある。
逆に傷ついてよりひどくなって、心身を歪ませてしまう場合もある。
子供の意志を優先して他に逃がした結果、そのおかげでのびのびと個性を伸ばし、長じて親に感謝する場合もある。
逆に最後まで自立できずわがままになってしまう場合もある。
どちらの方法がいいか、悪いかというのは、あくまでも個々のケースによるのであって、誰にも決められない。
ある人にとって最善だった教育法が、別の人には最悪な場合もある。
まだこの子が5歳で、これからどう育つのかまったくわからないのに、根本的に間違っていると言い切るのは早計です。
ところで、私がこの記事を見て思い出したのは、黒柳徹子さん。
彼女もまたかなり風変わりで、普通の学校では手におえない問題児で、やはり友達もいなかったのだけれど、母はその個性を丸っと認め、同じく我が子の個性を尊重してくれるトモエ学園という学校に入学させ、みんなで温かく見守ったそうです。
そして「みんなと同じようにしろ」とは誰にも言われずに育った結果、現在のような黒柳さんになっています。
あの方を、自由で個性的で意志が強くて素敵、と思うか、世間知らずで迷惑なエゴイスト、と思うか。
この違いは、この親子をステキと思うかふざけんなと思うかの違いに等しいかもしれませんね。
私はもちろん、トットちゃんもトモエ学園の校長先生も大好きです。
>鳩子さん
ドイツでは、夏場ははだしになる人が多いんですか!
初めて知りました。面白い習慣ですねー。
石の道路はコンクリートみたいに熱くないのかな。
水虫は少ないかな。
海外在住者ならではの豆知識、これからも楽しみにしています^^
苛めの対象で自殺ワニよっ!!
そんなの子供が大人になってどうしてもやりたければやらせたらいい話であって、わざわざ社会の異端者になるように親が仕向ける事はないじゃないか。
自分にとってこれは美談ではない。
親の自己満足。
息子が本当は女の子の本性をもっていると悟った親が、それを殺して生きなくていいんだと教えたかっんだろう。パパは、自分が男だからこそ息子が一時の興味じゃなく、本性的に女の子としてドレスが好きなことに気づいたんだと思う。
仮に、社会に同化するためにドレス着なくなってそのまま男性として生きても、内面の女性の自我は思春期にむけますます強くなり、社会で演じる自分と本当の自分とが乖離して耐えられなくなる時期がくるだろう。それからカミングアウトでもいいが、それもまた苛酷な人生だ。
どっちにしても茨の道だけど、子供の時って一番自分に正直に生きられる貴重な時だから、パパの行動は理解できる。
日本だと、周囲との協調性が求められ、欧米は子供の尊厳や信念が尊重されるのケースは珍しくない。
子供の為になってるようだからいいな
心が広いお父さんだな
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