禅智内供は五十歳を過ぎた高僧である、その内供が凡人の様に自分の容貌により心を悩ませる。鼻が大きければ大きいで悩む、鼻が衆人と同じになればなったで悩む。
内供の鼻に対するコンプレックスが心の奥底にある煩悩を炎として燃え上がらせる。内供の鼻について周りの人達は好奇心だけで行動する、それが内供にとって大きなコンプレックスの原因になっている。内供は常に衆人が自分の鼻を見て笑っていると思い込み、「鼻を衆人のものと同じにしたい。」と療治を受ける決心をする事になる。しかし無理をして鼻を小さく療治しても衆人から笑われている。弟子に仏の徳を説く内供でさえである。人間の心はかくも弱く悲しいものか。
内供にとっての悩みは衆人の好奇心に晒される事だったのだろう、人の容貌や醜美は個性としてとらえるべきで差別や区別するものではない。
物語の中で作者は――人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――と描いている。
作者は自分の心の中にある矛盾した二つの感情の象徴を内供の鼻として表現している、作者の心もやはり衆人の好奇心に満ちたものだったのだろう。
「鼻」を読んで自分の心の中にある「衆人の好奇心」をもう一度見つめる事が出来た、表向きの「良心」と言われる心と、どちらかといえば少し心の奥底に潜む「好奇心」に名前を借りた「差別」と言う心を。
本人も嫌でないのなら
「奇形も個性」って思うんだけどねぇ・・・
つるっとした息子の頬を撫でる母親の笑顔がステキだね
X51.ENEMAで見た。
脳が2つだと人格も2つなわけで、人道的にも手を付けられないんですよね・・・。
上島竜平??
ワロス
トップの写真とか動画は見たこと有るけど続きがあったんですね。
手術したと言う事実は知らなかったなぁ。
切除された部分が映って無いのは残念だが、4・50年近く前の映像なんだろうから貴重。
今はこういうのが簡単に観られるのでいいよね。
頬をなでる母や周りの人々の表情がなんだか微妙で。
見知らぬ人との接触が多い都会ではあの姿では生きにくいだろうが、狭い村の中で周りも本人もすでに受け入れた容貌であれば、生活に支障がない限り取り除かなくてもよかったかもしれない。
でもやっぱり、嬉しそうな笑顔を見ると、よかったのだろう。
内気で人と会うことを恐れていた人が、積極的に明るくなるならば、すばらしいこと。
きっと生涯、相棒を失ったような寂しさに襲われる夜が、ふっと訪れたりするのだろうけれど。
「あいつはいつも、俺が怒るときは一緒に怒って、笑う時は一緒に笑ってたっけな。」って。
ただの筋肉の連動だとはわかっているとしても。
横の口も動くのに衝撃をうけた。
生活にもかなり支障出てたと思うぞ
わざわざアメリカまで連れて行って手術、そこで看護師と知り合って結婚した
というストーリーを以前見たんだが。
あれは全て出鱈目だったか。
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