2006.02.05 (Sun)
ビッグフットガール ファニーの生涯(下)
父の死後、土地や財産はウィリアムほか三人の姉妹に分け与えられましたが、妹が結婚し、ほかの兄弟が学校の教師を職に選んだ頃から、ウィリアムにかかる負担が重くなりました。 それでも最初のうちは農地の生産性を維持しようと懸命でしたが、「貧乏くじを引かされた」 ウィリアムは、自身限界を感じていました。
一人家に残っていたメアリーがファニーの付き添いとして、東部の町をまわり始めたのはちょうどそんな時期だったのです。
ウィリアムにしてみれば、持参金の話はデタラメだということは先刻承知です。 しかしながらファニーは実際、見世物小屋で働くことで大きな収入を得はじめていました。 こうして金に目がくらんだ46歳の男、ウィリアムは26歳のファニーにプロポーズすることになったのです。
とはいうものの、ファニーがウィリアムを愛し、これがごく普通の幸せを得られるチャンスだと思っていたかどうかはわかりません。 彼女には彼女なりの打算、ウィリアムの持っていた土地が手に入るという考えがあったかもしれません。
何れにしても質的に異なる二人は、1886年に結婚しました。 やがてファニーは妊娠します。
ファニーの子宮に命が宿り、夫婦でお腹の中の赤ちゃんの動きを確かめている頃が二人にとっていちばん幸せな時期だったのかもしれません。 しかしその幸せは長くは続かず、1887年の夏、ファニーは既にお腹の中で息をひきとった赤ちゃんを死産します。
これを機として二人の間に気遣いがなくなり、関係が冷えてきたのでしょう、ファニーは死産の四ヶ月後には早くも興業に戻っています。
ファニーを少しでも想うのなら、ここで引退させるのがウィリアムの役目だったでしょう。 しかし、彼はもう気概を失っていました。
ファニーはその後五年間興業を続けましたが、晩年には浮腫が悪化、動くことも出来ずに1899年、39歳の短い生涯を終えました。 確たる証拠はないのですが、この彼女がのたうち苦しんでいる時期にウィリアムは彼女と離婚したともいわれています。
ファニーの遺骸はオークランドのサンダスキーにある墓地に埋められ、一方のウィリアムは70歳まで生きました。
ビッグフットガール ファニーの生涯(上)