2015.07.24 (Fri)
Opened Mic
鎮海(진해: チネ)で画像検索すると、画面は一面の桜の画像で覆われます。
ソウルから列車で三時間半、毎年四月には軍港祭が催され、辻々が満開の桜につつまれるこの街は日本軍が作りました。
画像に見られるように中原広場を中心に放射状に設計された街で、朝鮮半島でこうした構造をもつ街は他にはありません。そしてその外観から鎮海は日本軍が旭日旗をまねて作った街だという議論が韓国国内で盛んです。(プレミアム朝鮮日報)
とりわけ2007年に広場から噴水や時計台を撤去してからは、空から見た画像が旭日旗そのままだというのです。こうしたことから市民団体は広場の中心に高い塔を建てて太極旗を掲揚しようなどと主張しています。
放射状構造は近世に入ってからパリを筆頭にヨーロッパで多く採用されました。古くはローマ時代にも見られますが、都市のデザインとしては当時、モダンなものだったのでしょう。当たり前ながら旭日旗を模したという説はあたりません。
日本は中国にもこうした構造の街をいくつか作り、その代表的なもの、瀋陽の中山広場では戦後、中心部に日本軍が設けた日露戦争戦勝記念碑を打ち壊し、毛沢東の像が建てられました。
日本軍は鎮海を軍港都市として景観を整えるため、梅や桃、そして桜を大量に植え、街を彩りました。敗戦後、桜は日本軍をイメージさせるものだとして大半が伐採されましたが、桜の原産地が済州島だとする説が紹介されたことから、大規模な植樹運動が展開され、現在に至っています。
中国では放射状の真ん中に戦勝碑を建てた日本軍でしたが、鎮海では真ん中に樹齢数百年という大きな榎(えのき)がありました。それは先祖代々韓国人が祀っていたご神木でした。大榎は伐採された桜の後を追うように朝鮮戦争前、枯れました。
さて金曜日。フリートーク、Opened Micの時間です。どうぞごゆっくりとおくつろぎくださいね。
>>桜は日本軍をイメージさせるものだとして大半が伐採されましたが、桜の原産地が済州島だとする説が紹介されたことから、大規模な植樹運動が展開され
やっぱ病気だわ
国民全員、統合失調症を疑うレベル
人の言葉が地域別に分かれて起こったことは、コミュニケーションの障壁なのではなく、本質は各言語ごとにヒトのオペレーティングシステムが異なってしまったのではないかと思っています。それは古代の中東あたりから分化が始まったのではないか?という言語学者の話をどっかで聞いたことがあります。
鉄器の期限がトルコあたりでバベルの塔も中東なので、あるいはアフリカから20万年前に出現した人類は中東あたりまで同じ言語=同じ思想で社会活動を営んでいたのかもしれません。そこでどんな形の崩壊が起こったのか、バベルの塔という軌道エレベータの崩壊がなんらかの社会的ネットワークを破壊して、あるいは地軸の移動が現在の中東地区を破壊して、いやいや。宇宙のどっかから来た遊星から大量の砂をばらまいて、この星には帯状の砂漠地帯を刻みつけたのかもしれません(この時大洪水が起こった可能性はあるし津波で大西洋やインド洋や太平洋の島が幾つか沈んだかもしれません。)
ともかく一旦人類文明は崩壊し、その末裔は各地で色々な生き方を強いられました。
その結果、その土地に合わせた生き方と言葉が生まれ、方言だったものは別の言語へと変わっていきました。
黒人に端を発した人種の分化は白人・黄色人種を生みました。でも日本で育った白人は日本人の思考形態になります。
この人種というヤツはパソコンで言うマザーボードとBIOSに相当するのです。
そして言葉は思考形態やロジックに影響を与えます。これはパソコンで言うところのOSでありIOSなのかクロムOSなのかwindowsなのかと同じです。
パソコンと違ってどのマザーボード・CPUの組み合わせでもインストール出来るところがヒトの高度な部分です。
さて外国の言語を学ぶということは2つの方法があって、HDDのパーテーションを切ってスイッチOSにするかエミュレーターでさも違うOSのように振る舞う方法があるのです。後天的にはほとんどエミュレータしか方法がないので苦労するわけですが。ブートキャンプみたいな方法があると良いのにね。
でもどの方法でもインストールに時間はかかるのです。
さて、韓国語というOSは何なんでしょうね。日本語OSでよかった・・・・と相手も思っていることでしょう。
日本語というOSを母国語にする日本人だって他人との違いにビクビクし、大衆に迎合し、熱しやすく冷めやすいというネガティブな面も持っていると思うのです。粘り強く時間がかかっても精度を求め、自己責任を強く感じるその性格は最後にどうにもならないプログラムの停止を引き起こします。
だから自殺が減らない・・・・。
同音異義語を文脈から推論しなきゃ読めない筆記方法というのは不完全だと思う。ハングルは学んだことがないが。
yousuruni,kouiukotonanndatoomouto,bunnshounodokkainiha,soutounakurougahituyounannjyanaikatoomou.
ひらがなでかいてもへんかんしていないぶんしょうをよむのはけっこうなくろうがひつようになる。
カンジトイウモノハジョウホウリョウガオオキインダヨナ。
もともと文科省にあーいった巨大建築物を任せる事自体無理があるんじゃないかと思うのです。
早く国交省ーゼネコンの主導体制を作らないとガラガラポンをまたやることになる。
一つも共感する部分がないな。それは、どれも事実の裏付けがなく、
例えの話もどうも的を得ていない感じがするから。
各地域の文化、生活様式、言語などの違いは、とても複雑な背景もあれば、
極めて単純な背景もあります。バリ島の例は典型的です。たった一人の人間が
バリ島の文化を築いたと言っても過言ではないです。
それは、他の地域でも十分にあり得る話です。大衆は、一人の船頭によって
運命が決まる場合があるからです。しかし多くは、船頭が複数いることで
多様性が生まれていると、私は考えます。
BIOSやOSでの例えは面白いですね。
おもしろい見方ですよね。異なる言語、文化ごとに思考の構築されるさまをオペレーションシステムの違いと仮定してみると、ひとつ小説が書けそうで、たとえばラテン語由来の言語体系を日本語に移植した場合、どのようなバグが出るのかなんて、或いは全く関係なかった言語の閾値がどこかで東洋思想と合致したりと(^^;
ただ、わたしは言語がOSというよりも、もとに人間的な感情があって言語はそれを思想として使える段階に翻訳するまでのレセプタかなとも思ったり。西洋文明が目もくらむような勢いで一気に流れ込んだ明治時代、新たな概念、たとえば社会、文化、文明、思想、法律、経済、資本、階級、分配、宗教、哲学、理性、感性といった訳語で、潮流の中でほぼ正確に日本語に置き換えた先人の血の滲むような努力をたたえたく。
中韓にすれば、そのまま日本語の訳語を使用しているといえど、まがりなりも概念を自国語に代入できたのですから、オペレーションシステムとしての言語の違いはそれほど多くないのかもしれません。
ハングルはねえ、15世紀以前の自国の文書が読めないんでしょう。申しわけありませんが、馬鹿ですね。
持って行くこととなった。専用の収納箱はないし、正式な包み方も知らなかったが、先ずは風呂敷
を用意して、位牌を半紙で丁寧に包み、それを、広げた風呂敷で包み、更に別の風呂敷
で包んでから端を結んだ。包み作業はそれとなく、本木君主演の映画「おくりびと」のシーンのように、
厳かに、節度ある動作で丁重に進めた。見守っていた義母と家内とが途中で手を合わせた。
静かな雰囲気の中、時折、風呂敷を張ったり折ったりする際のパンッという音が雰囲気を一層
引き締めていた。日本っていいなあ・・・と感じた一時でした。
若い人へ解りやすく比喩しようとしている努力は認めるが中身がない話を取り繕っても
所詮は中身のない話なのだからどんどん理論の深みに嵌まっていきます。
ここはOSに例えることなく、地球外のヒトさん の幅広い見聞をもって持論を展開すべきです。
よって書き直しを求めますね。私は。
町と言っても住宅街ですけど。
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