2014.01.08 (Wed)
神経線維腫により、全身を腫瘍に覆われ、失明から呼吸困難にまで至った男性―インドネシア (4p)

―Mirror、環球網―
神経線維腫による何千もの腫瘍から失明、そして呼吸にも困難が伴うようになったスラムット(Slamet)。インドネシア、東ジャワ州マゲタン(Magetan)に住む59歳の男性です。
兄弟のサワディ(Suwadi)によると、スラムットは、今から23年ほど前、1991年に腰部に出来た腫瘍を切除した後に病状が顕著になったといいます。全身を覆い始めた腫瘍により、働くことも難しくなったスラムットは病院にも通えず、ついに鼻孔まで覆うようになった腫瘍により、失明どころか呼吸にさえ差し支えるようになってきました。
村の隣人は、Facebookでスラムットのサイトを立ち上げ、義援金を募っています。



この病気、何人めだよ?
もはやインドネシア特有の風土病だな。
しかし人の皮膚ってここまで変化するもんなんだなあ。
で、治るもんなのですかこれは。
神経線維腫 が正解。
やっぱり理解のための広報は必要だよな。
こないだフィリピンに行ったときに同じ症状の人を見ましたよ
直接目の当たりにする前にインターネットで見たことがあったのでそこまで驚きはしませんでしたが・・・
おっと。このブログはこれまで日本では最も神経線維腫(主に中国の)の症例を取り上げてきたと思うのに誤字とは申し訳ない。
● 地球外のヒト | 161743 さん
仰るように広報は必要だと思う。世界中のメディアで報じられていた奇病や怪病の類を、なぜ日本では義援金を募る患者のためにも、即時に報じず、バラエティー番組で紹介するのかと憤っていた頃が懐かしかったり。
今では東ジャワの人里離れた村でさえ、FacebookでSOSを発信できる。そうして考えるとこの数年の急激なITの進化も悪くないように思える。あとは助けを求めている患者に確実に義援金が手渡されるようなシステムと、最近では手術による成功例以外こうした奇病の類を隠蔽するようになった中国などの記事を出来るだけ拾い上げることなのだと思う。
● 裸族のひと | 161731、裸族のひと | 161747 さん
いや、10年前だが、日本の某温泉街でも同様の症例の男性を見かけたことがある。
男性は真夏の炎天下、真っ白な日差しが全てを露わにするなか、埠頭のコンクリートの上に静かに座っていた。
わたしは、男性に何一つ声をかけられなかった…。
ぞっとするなあ。むかごにも見える。
それでも生きようとしているのがすごい
閲覧注意の表示が必要か?
これまで事故や事件、あるいは災害に巻き込まれての痛ましい画像はモザイクなどで処理してきた。
しかし奇病による病状を訴え、義援金を募る患者に「閲覧注意」の表示が必要だろうか?バラエティーで紹介される奇病の類に「視聴注意」と警告が表示されたことがあるだろうか。
閲覧注意…いやな言葉だと思う。健常者の奢りにしか聞こえない。当たり前だが海外メディアでは、「衝撃的」と冠しても、閲覧注意などとは記さない。
彼らはみな、太陽に照らされるもと、私たちといっしょに生きている。
というか、自身を晒して募金募るってアジア~東南アジア圏なイメージだわ
そういえば俺も昔、祭の会場でぶらぶらしてる時に
こんな感じの人を見たことがある
かなり衝撃だったな
彼にどう言って神の行いを正当化するのだろうか?
募金するとかして少し変われたらいいのに。
変わろうという気持ちを持てたらいいのに。
同じ職場ではないが、別の職場に怖く感じる人がいる。
皮膚の病気だ。
遠目で見ていると平気なのに、近くで見るとすごく怖い。
でも、話しているとだんだん平気になってくる。
それは相手が普通の人間だからだ。
この記事の人も、実際に対面すると、画像で見ていたのより怖さが大きいかもしれない。
でも、この人を助けようとしている人がいるということは、この人は
普通の人間なのだ。
普通の人間だ、と初対面の人を認識するのは必ずしも正しいことではないかもしれないが、
こういう人を前にしたら、いつもより強く、この人は普通の人間だ、と
思うことにしよう。
……と書くことで、すこし変われる気になっている私がいる。
当時、新しく交流を持つようになった知人の家に遊びに行ったとき、ご近所に、頬から腰くらいまでの長い肉片を二つくらいぶら下げた老婦人がいて、後ろからちらりと見かけただけだけれどもびっくりしました。
そんな私に知人が、「あの人は頬に大きなコブがあって、めったに外に出ないのに、今日はめずらしい。」と言いました。
それから、あのコブは何だろうと調べるうちにここにたどり着いて、数々の衝撃的な画像に驚いたけれども、自分でも意外なくらいに嫌悪感はありませんでした。
グロ画像に耐性があったというのも新しい発見でした。
もともといわゆる「エログロサイト」と言われているところはとても苦手で、うっかりアクセスしてしまった時でもすぐに退出するのに、ここはなぜか平気でした。
ずっと通ううちに、管理人の人柄のためだろうと気づきました。
興味本位で載せているのではない。
信念がある。愛がある。
それを感じるから、嫌な感じがしないんだなーと。
この記事と、コメント欄でのチキータさんのコメントに、改めて初心を思い出しました。
さて、スラムットさんには申し訳ありませんが、私は資金援助できません。
ほかに優先的にするべき先がいくつかあるのです。
心苦しくも、援助が集まり無事に手術が行われることを祈るのみといたします。
余談ながら、その後、何度も前出の知人宅を訪れていますが、あれきり一度もあの老婦人に会いません。
日本の神経線維腫患者は、そうやって人目を避けてひっそりと暮らしているのだと思います。
この病気への理解が深まれば、怖くないし、握手もハグもして大丈夫ってわかるのに。
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