2013.02.17 (Sun)
アウシュヴィッツに収容された7人の小人の物語
―Daily Mail (英)、Ovitz family (Wikipedia)、Josef Mengele (Wikipedia)―
ポーランド南部、オシフィエンチム市(ドイツ語名:アウシュヴィッツ)に列車で連行されてきた7人の小人を見て、ナチス親衛隊員はその目を疑ったといいます。うち5人は女でした。エレガントな衣装に身を包んだ女たちは5歳児と同じくらいの身長でした。その様子はまるで精巧な人形のようにも見えました。
捕虜たちが屈強な兵士によって括られる中、小人たちは輪を作って愛想を振りまきました。そればかりか自分たちのサインを書いた紙を兵士たちに手渡そうとさえしました。小人たちは、ハンガリーのマラムレシュ(Maramaros: 現ルーマニア)出身のユダヤ人の芸人で、当時「リリパット(スウィフトの小説「ガリバー旅行記」に出てくる小人国の名)一座」を名乗り、興行を行っていたのです。
小人たちの表情からは、3時間もかけて悪名高いアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(Auschwitz-Birkenau)に連れてこられたという恐怖は感じ取れませんでした。小人たちをオービッツ家の一員だと確認した親衛隊員は、すぐさまヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele: 1911-1979: アウシュヴィッツで収容所の囚人を用いて人体実験を繰り返し行った)に連絡を入れました。親衛隊員は、両性具有や巨人症といった「フリークス」に対してメンゲレが異常なほどの興味を示していたことを知っていたからです。
1944年5月19日、時間は真夜中。親衛隊員からの連絡を受けた34歳のハンサムな医者はベッドから跳び起きました。
もし戦争がなかったならば遺伝子学の研究を続けていたというメンゲレは、アーリア人を優等民族と捉えるナチス人種理論の信奉者で、これまでに被験者に対して致命傷を与える数々の人体実験を行ってきました。女子収容棟で発疹チフスが発生したとあれば、感染を食い止めるために498名の女性捕虜全てをガス室に送り殺害。その他、病原菌の注射、眼球の抽出、双子を縫い合わせることで意図的にシャム双生児を創出、麻酔なしで人体を切断するなど様々な残忍極まりない外科手術を行ってきたメンゲレは、小人たちに多大な興味を示しました。
現れたメンゲレを小人たちが取り囲みます。メンゲレの問いかけに小人たちは熱心に応えました。それによると小人たちの父親は、シムソン・アイジック・オービッツ(Shimson Eizik Ovitz)という名の小人で、健常者の女性を相手に2度結婚し、7人の小人と3人の健常者をもうけたといいいます。遺伝子学を専攻していたメンゲレがとりわけ興味を持ったのは、同じ兄弟で小人と健常者がいるという事実でした。すぐにでもガス室に送られる予定だった小人たちの親戚―22人の健常者が親戚だと名乗った―は、そのためにいったん難を逃れました。
メンゲレが興味を持ったという理由で、小人たちは他の収容者とは別に扱われました。頭を剃られることもなく、服も自分たちが持ってきたものを着、食事は水っぽいスープと他の収容者と同じながら、トイレは別で、収容所内で亡くなった赤ん坊のおまるが与えられるなど衛生面で注意がはらわれました。アルミのボウルが与えられ、毎日自分たちの着ているものの洗濯をも命じられました。
こうした特別待遇は、やがておこなわれる人体実験を予定してのものでしたが、小人たちはそうも思っていなかったようです。1930年代にはルーマニアの国王カロル2世の前でも公演を行ったというリリパット一座ですから、ここでも自分たちが歌や寸劇を演じることを求められていたと思ったとしても無理もないことかもしれません。
しかし、リリパット一座の輝かしい経歴はナチスを前に終焉のときを迎えました。
運命の日、小人たちはメンゲレの研究室に呼ばれました。女たちは入念に化粧をして、持参した中で最高のドレスを身にまとったと言います。収容所のバラックからメンゲレの元に向かうきらびやかな7人の小人たちの姿は、やせ衰えた収容者たちの目には奇怪な白昼夢のようにも映ったことでしょう。
テストは採血から始まりました。採血は毎週繰り返されました。レントゲンの撮影と共に大量の血液が抜かれ、栄養もいきわたらなかったために小人たちは衰弱して倒れ、意識を取り戻せば再び血を抜かれました。精神科医は彼らの知力を測るために質問攻めにし、女たちにはこれまでの性生活についてこと細かに訊ねました。遺伝病の兆候を調べるために、メンゲレは彼らの健康な歯を引き抜き、まつげをむしり取りました。梅毒の検査と称して耳の穴に熱湯を注ぎ込み、すぐさま冷水を注ぎ込むという実験をも行いました。
リリパット一座が到着した3カ月後に、同じくアウシュヴィッツに連行された2人の小人がいました。2人―傴僂(せむし)の父親とその息子―は、ベルリンにある博物館に骨格標本を送るという理由で肉と骨が分離するまで煮沸されました。これを知った小人たちは震え上がりました。やがて自分たちも同じような目に処せられると思ったからでした。
これまで自分たちが生き残ってこられたのは単にメンゲレの気まぐれのおかげだと悟った小人たちは、逆に陽気にふるまうことを決意します。メンゲレを閣下と呼んで称賛し、メンゲレのお気に入りの歌「Come Make Me Happy」を口ずさみました。そんな小人たちを見てメンゲレも満更ではなかったようです。
メンゲレの気まぐれで明日にでもガス室に送られてしまうかもしれないといった恐怖に四六時中苛まれる極限状態を経験したリリパット一座の女たちは、後のインタビューでこう答えています。
「メンゲレ博士はまるで映画に出てくる俳優のように見えました。その裏にある邪悪な心に気づかずに、女ならだれでも簡単に恋に堕ちていたと思います」。
全てはメンゲレの機嫌次第でした。ある日の夕方、メンゲレは小人たちのバラックを訪れ、女たちに小包を与えました。「明日はおまえたちを素敵な場所に連れて行ってやろう」。メンゲレの言葉に小人たちは青ざめました。それを見たメンゲレはこう続けます。「お偉いさんたちの前で舞台に立ってもらいたいんだよ。だから最高の身なりでのぞんで欲しいんだ」。
小包の中身は、パウダーコンパクト、口紅にマニキュア、グリーンのアイシャドウ、香水の瓶といった一連の化粧品でした。
翌日、久方ぶりに興行用の厚い化粧を施した小人たちは、親衛隊のキャンプに連れて行かれました。銀や陶磁器で出来た高価な食器に盛りつけられた豪勢な食事が並ぶ中、小人たちはステージに上がりました。芝の上に設えられた観客席には上級クラスの親衛隊員が陣取っています。小人たちはメンゲレを見、ショーの始まりを示す合図を促しました。
その時です。「おまえら、全員服を脱げ!」。メンゲレが叫びました。呆気にとられた小人たちは、震える手でお互いの衣装のボタンを外しにかかりました。女たちは胸と下半身を隠そうと前屈みになりました。再びメンゲレが吠えます。「背筋を伸ばせ!」。
メンゲレは素っ裸になった小人たちの体を玉突きのキューで指し示しながら、大勢の親衛隊員の前で簡単な講義を行いました。その内容は、ユダヤ人が人種として退化しつつあり、小人化などの障害を発症しているといった荒唐無稽のものでした。親衛隊員からは拍手が巻き起こりました。
1945年1月、ソ連軍がアウシュヴィッツ収容所を解放する直前、メンゲレはグロース・ローゼン強制収容所へ移り、さらにベルリンへと移りました。
ようやく解放された小人たちは故郷のロザヴレア(Rozavlea)の村に7ヶ月をかけ徒歩で戻りました。しかし、もといた650人のユダヤ人はわずか50人ほどに減り、村にかつての面影はありませんでした。
1949年に、リリパット一座はイスラエルに移住。数年ほど興行を行いましたが、メンバーは次々に亡くなり、1955年に引退しました。戦後、アルゼンチンに逃亡していたメンゲレは、1979年にブラジルのサンパウロで海水浴中に溺死。リリパット一座の最後の生き残り、ペルラは2001年9月9日に80歳の生涯を終えました。
メレンゲは悪だし、科学者とは言えないが、
いろんな結果を良くも悪くも残した。
この時代の実験は人間の倫理というものを
考えさせられるとてもすごい物が多い。
真実は分からないがこの人はモサドから逃げ切った著名な戦犯の一人だ。
興味が轢かれるのはよくわかる。
興味を引かれ、考えた末に、実行。
謎が解け人々の幸せにつながることも多々。
だから実験自体は否定しない。
それでも絶対譲れないものがある。
それは相手の同意を得ているかどうか。
相手の同意を得ず、実験などを行った上での傷害や死。
じっくりと痛めつけたい。
てっきり放置になると思ってただけにうれしいトです。
え?わ、わざとだよ。ほ、ほんとだよ~(+o+)
数々の人体実験や動物実験のたわものだと
どっかの本で読んだな
仮にそういうのも功績と言うなら両極端が寄せ集まってて功罪は微妙だよね
生存者の裏づけ証言も物証も多数残ってることから残虐行為があったのは覆しようがない事実だと思うけど、どこまでがメンゲレ個人の意思でどこまでがナチスの思想だったのかは霧の中だしねー
オービッツファミリーの画像を5枚追加しておいた。
メンゲレについては生い立ちから載っているドイツ版Wikipediaが最も詳しい。
http://de.wikipedia.org/wiki/Josef_Mengele
しかし こういった才のある基地外がいるから医学が進歩してるとも少しは言えるんだろうな
しかし基地外に権力もたせない方が人類の為でもある
年齢を見ればそこまで若かったようにも見えないし
ハンサムなんだろうけど
こんなことする人と思って見ると怖く見える
とても読みごたえがありました
胸が重苦しくなった。現実を基にしているから、伝わり方も重いんだと思う。
メンゲレ、海水浴中に犠牲者達に脚を引っ張られたんだと思う。死と隣り合わせの恐怖は計り知れない。
そのおかげでドイツの医学は飛躍的に進歩したと、メンゲレの功罪について書いてあった。
犠牲なくして医学の進歩はありえないと。
それをずっと信じてきたけれど、やっぱり被害に遭った側の話を聞けば、
必要悪なんて言葉で納めてほしくない。
だいたい、彼の行った実験は、必ずしも医学の進歩に寄与していないことも多い。
ただの趣味としか思えないことも多々。
やっぱり、二度と繰り返してはならない不要な悪としか思えない。
同じ敗戦国でありながら戦後の立場が日本とかなり違うように思えます。
世界情勢など詳しくありませんが、
EUで経済・産業をリードしているドイツ。
ネチネチと隣国にイビられる日本。
何が違ったんだろうか・・・
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