2012.07.12 (Thu)
世界経済の「超級新星」―モンゴル (22p)

―網易―
アジア内陸に位置することから、どちらかというと印象の薄いモンゴル国。
今から20年前の1992年、この国では社会主義を捨て、新憲法を制定。国際援助機関の協力などを得て、市場経済化が進められました。

国土の面積は150万平方キロ以上。国土の8割が高原にある草原地帯に占められるモンゴルでは鉱物資源も豊富です。
画像はウランバートル南の火力発電所。1990年以前は多くの社会主義国同様、モンゴルの経済はモスクワと相連なっていました。

前世紀90年代、モンゴルは一連の政治、経済改革に着手します。
画像は1990年3月20日、スフバートル広場。政府宮殿や国立オペラ劇場のあるウランバートルの中心の広場に市民が集い、民主化へのデモを行いました。

モンゴル経済の礎は、豊かな草原地帯を用いた畜産業でした。しかし近年、鉱業が大きな割合を占めるようになってきました。世界屈指の埋蔵量を誇るモリブデンの生産のほか、政府では金の採鉱を勧め、多くの人々が金鉱へと向かいました。

2011年、モンゴルのGDPの伸び率は17.3%という驚異的な数字に達し、世界の注目を浴びました。
石炭の生産量も上がり、中国が輸入する粘結炭の原産国トップにも躍進しました。

アメリカの雑誌「パシフィックマンスリー」によると、モンゴルの鉱物資源も埋蔵量の価値は約1兆ドル。また急激な経済成長とげつつあるモンゴルを、新たなドバイにたとえる人々も少なくありません。

経済改革の中で多くの国営企業が民営化されました。
画像のスーパーは、「Nomin」というチェーンストア。かつては国営でしたが今は民間企業が運営しています。棚に陳列される商品もどんどん増えていっているそうです。

経済成長に伴い、外国からの投資も活発になってきました。
モンゴル農業銀行はアメリカの銀行家が経営を立て直し、ハーン(チンギスハーンより命名)銀行と改名した後、日本人が700万ドルで買収しました。ウランバートル市内にも海外投資によるレストランや喫茶店が増えてきました。

車に乗っているのは、不動産王のBat-Erdene Khadbaasan氏。「ウランバートルはいい場所になりつつある」と語る彼は、もともとはノマド、遊牧民でした。それから運転手へと這い上がった彼は、強運と決断力、たゆまぬ意志で不動産王にまで上り詰めたという立志伝中の人物です。

画像は、ウランバートル郊外の親戚のパオ(またはゲル=移動式住宅)の中、iPhoneで動画を見るOchkhuu Genenとその娘Anuka。
つい最近まで家族は大草原に住んでいましたが、2人の幼い娘を育てるOchkhuuとその妻は、厳冬の厳しい生活からウランバートルで働く暮らしを選びました。

モンゴルは世界で見ても最も年齢構成が低い国家のひとつです。
2000年の国勢調査では、なんと国民の3分の2が30歳未満、36%が14歳未満だという数字があらわれました。

ウランバートル、プールで遊ぶ子供たち。
国民が若いことで、絶え間なく新鮮な労働力の提供が続けられる社会は、そのこと自体が財産であり。発展の礎であり、原動力なのかもしれません。

モンゴルの仏教暦で、バルジンニャムとダシニャムという2つの縁起のいい日が重なるダブルニャムの日は、結婚式や開店といった吉事が街にあふれます。この日に結ばれると富や財産に恵まれ、健康で幸福な日々を送れると考えられています。

若者たちはコンサートを楽しみ、夜店をぶらつきます。
画像はウランバートルのライブホールでギグの出番を待つモデルたちと曲芸師の男の子。

自転車競技への出番を待つモンゴルの学生。
しかしながら、年に数回行われるモンゴル国内のスポーツの祭典「ナーダム」で欠かせないのは、モンゴル相撲、競馬、弓射の3つ。「男子三種」とも呼ばれています。

モンゴルでは「力」と「男らしさ」が依然、尊ばれます。
画像は、モンゴル中央スタジアムに姿を見せた朝青龍。記者やカメラマンにあっという間に取り囲まれました。

もちろんまだまだ高級車や豪邸といったものに庶民の手は届かないとはいっても、企業は次々と市場を開拓しては新しく提案し、消費者に訴求する努力を怠りません。
画像はキャットウォークへの出番を待つモデルたち。

ウランバートル市内にあるアルマーニ・アパレル店。

しかしながら、モンゴル人すべてが経済改革の受益者だというわけではありません。モンゴルの失業率がようやく9%にまで下がったのは2011年のこと。失業者は、政府や外国企業に向けて不満を発散させます。格差に対する不満は若年層を極端な方向へと走らせます。
画像はナチスの紋章を背中に入れる男性。彼もかつては仏教徒でした。現在は失業中です。

ウランバートル市内を走る公共バス。
石油や天然ガスなどを輸入に依存するモンゴルでは、コストがそのまま消費者物価に反映し、そのためにインフレ方向に傾くことも最近では問題視されています。

土地が私有化される段階で、多くの遊牧民は暮らしていく土地を失いました。
政府の政策はあまりに大企業寄りだと、庶民は訴えます。

スフバートル広場の政府宮殿。前にあるのはチンギスハーンの銅像です。
チンギスハーンの子孫たちが創造し営むこの新興国家は、すでに中国人の想像力などとうに超え、世界経済の「超級新星」となろうとしているかのようです。
以下のサイトを見られるとよく判りますよ。
http://www.reduxpictures.com/Photographer/Mark-Leong
高級車・ブランド物の装飾品・コカコーラ・ファストフード・モダン建築・投資成金・娼婦・スパ・シャンパン
リゾート・貧乏人・債務奴隷etc
失うもの
地域社会の結束・価値観・美意識・乳酒・羊の解体方法・伝統的な住居・健康保険・飲み水・義務教育etc
ショック療法を取り入れた国や資源依存型国家はまず健全な発展は望めません(ロシア・ベネズエラは別)
これからもっとモンゴルの近代化が進むんじゃないか。
反比例のようになるでしょうな
そうかモンゴルか
ちょっくらモンゴル行ってくるノシ
日本?なにそれ食えるの?
遊牧民の生活に対して何とかしてほしいわね・・・
変えるべきもの、変えてはいけないもの。
古き良きもの、古き困りしもの。
国民の声をしっかりと聴いて国を作ってほしく思います。
また一つ、奥深く豊かな個性が失われていくのか。
友達のバックパッカーが、もう地上には秘境はなくなった、どこへ行くのも便利になって、未知の土地などなくなってしまったと嘆いていた。
チベットの辺りにわずかにあると言ってたかな?(うろ覚え)
アレクサンドル・アレクサンドロヴィチさんが手に入るものと失うものを具体的に挙げてくださっているけれど、目に見えない喪失は計り知れない気がする。
それでも、人類は前に向かっていると信じて、進んでいくしかないのだろうね。
その先が必ずしも明るいものでないとしても。
その当時でもモンゴルといえば遊牧民族でゲルに住んで周りは草原って印象で伝えてた。
ウランバートル辺りは映さなかったので、自分の脳内は未だにモンゴル=草原。
だから今回の写真にビックリ!自分がウラシマタロウになった感じ。
一方日本の赤字国債は
利権政党である自民党政権時に約900兆円の赤字国債を発行し
民主党政権で加速させて1000兆円超とか
ドル換算で12.6兆あるんですが・・・
あなたとその人を入れ替えた方が社会的効率は良いんだが、それはできない
それがあなたの利権だからだ
ノー!モンゴロイド!(意味不明)って叫んだら相手は腹よじれるぐらい笑ってた
同じ蒙古斑をもつ民族として、絶対に一度は行ってみたいたなぁ~。
この記事を見て、久しぶりに昔モンゴルに抱いていた憧憬を
思い出しました。^^
1平方キロに2人
俺が住んでる県
1平方キロに481人(笑)
ちょっとした買い物するのも一日がかりの生活でよければ広いから住めば?w
他にもアリゾナの砂漠地帯とかそういう人口密度のとこはいっぱいあるがな
基本、水に乏しくて風呂入れないから、おれは絶対イヤだけど
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