2012.06.07 (Thu)
人肉の味は?

―Daily Mail(英)―
上は、最近起こったカニバリズム、人肉食事件の加害者です。
右は「マイアミのソンビ」と呼ばれるルディ・ユージーン。道路脇に寝そべりながら、被害者、ロナルドポッポの顔面の75%を食べて警官隊に撃ち殺されました。左は、交際中の中国人留学生(33-男性)にアイスピックを突き立てて殺害、遺体の一部を食べたほか、カナダの与党保守党の本部などに切断した遺体を郵送したポルノ男優、ルカ・マグノッタです。
どちらも身の毛のよだつような事件でありながら、いささかの興味としてわいてくるのが人肉の味。いったいどのような味がしたのでしょう。
1920年代、アメリカのジャーナリストで探検家のウィリアム・シーブルック(William Buehler Seabrook)は、1931年に出版された著書『ジャングルウェイズ』のなかで「人肉はまるで子牛肉のような味がした」と記しています。

シーブルックは、西アフリカの食人族に人肉をふるまわれたという記事のなかで、人肉の味について、こう書いています。
「それは、よく成長、成熟したヴィール=仔牛の肉に似ていた。年齢を重ねてはいるが、成牛にはまだなってないといった感じだった。普通の人間なら、食べても仔牛の肉と区別がつかないだろうと思う。
ステーキは極上の仔牛肉よりも少し固く、少し筋があったが、それによって質がそこなわれるというものではなかった。ローストはまさしく色も仔牛肉にそっくりだった」
しかしカニバリズムの記述としてよく知られている、このシーブルックの記事は後年、彼が実際には部族の伝統行事に参加させてもらえなかったと白状したことで、現在では信頼性は乏しいと考えられています。もっともシーブルックは後に、フランスで入院患者の死体を得て試す機会があったという突飛な話もあるようですが。
一方で殺人後にカニバリズムを行った犯罪者の多くは正気とはいえず、こちらもあてにはなりません。そのなかでドイツの食人鬼、アルミン・マイヴェスは、「人肉はポークに似ているが少し固く、少し苦い」と述べ、日本の佐川一政は「強い匂いも味もなく、簡単に口の中にとけていきました。匂いのない、マグロのとろのようなものです」と述べました。
生き残るために仲間の遺体を食べたとする、1970年のアンデス山中墜落事故の生存者は、雪山の上で肉もなかば凍っており、味も風味もなかったと述べています。

いずれにしても人肉の味についての記述は定まらず、固い、柔らかい、甘い、苦い、とさまざまな表現が使われてきました。これは調理法によっても差が出るのかもしれません。
人肉を食べる種族の多くは、肉がわずかに腐敗し始めたころに食べ、調理法は炙るのとシチューにして煮込むのが多く、トウガラシや調味料を加えたりもします。
ユージーン、マグノッタのほかにも、スウェーデンでは妻の唇を切り落として食べた男が報じられ、東京では自分の性器を競りにかけ、入札した人に調理して提供した男があらわれました。
肉の好みとしては、シーブルックの描く西アフリカの食人族が、リブ(あばら肉)、ランプ(尻肉)、ロイン(腰肉)そして手のひらを好んだのに対し、19世紀のフィジーの食人種は、心臓、腿肉、二の腕の肉などを好んだといわれています。
ほかの種族に関しては、いずれも若い女性の胸が高く評価されているということです。
なんで寝そべってたんですかね?
精神錯乱を起こしたと思われる自衛隊員が
自分の腕にナイフを突き刺して、自分の肉を食べる、
というシーンがあったけど、信じられなかったなあ。
訓練で山の中に下ろされ食料も全くの自給自足・・・。
痛くないのか?って痛いに決まってるよな。
感じないんだろうなあ。
自分の肉を自分が生きてるまま
生で食うって・・・、ああ、思い出してしまった。
あのシーン・・。子供の時に見た映画だったけど
鮮烈だったなあ。
あとの内容はちっとも覚えてない(笑)
人間は肉食に近い雑食、美味い要素が無い。
味が無いというのは牛や豚のように手を掛けた調理をしてないだけ。
本気で研究すれば美味い料理にもできるだろうが、そこまで食材として扱うのは許されないだけだろうね。
では、雑食は??
強いて言えば豚肉に近いと言っていました。
北海道産の種イモを、東京で植えても北海道のじゃがいもと違う味になります。
オリーブを餌に育てた牛の肉には、オレイン酸が多く含まれると聞きます。
以上踏まえて!
人肉も「種族」「育った場所」「餌」によって、
「歯ごたえ」「味」「香」などが違うと考えられます。
なんていうか……その…下品なんですが…フフ…………
勃起……しちゃいましてね…………
何度もゲオで借りてきて……繰り返し見ていました。
黄金の味!
お安い牛肉でもおいしく食べられる日本の焼肉のタレって最高だよね
毛沢東が、権力回復の為に起こした政治闘争。内戦。
学生をあおり、軍隊を出し、教師など知識人や、中国国民党と関わりのあったものを言いがかりを付けてリンチ。1000万人~3000万人を虐殺。
孔子や文化財を否定、破壊する極端な「左」傾偏向主義運動に発展。
朝日新聞は、これを褒め称える記事を書いていた。日本の学生運動も、これの影響を受けている。
文革の頃、たくさんの人肉食記録が残っている。
知識人などに「階級の敵」とレッテルをはり、糾弾集会をみんなで切り刻んで喰った。そんな事が流行った。
中国・広西省武宣県では文化大革命の間に、共産党の迫害によって死んだ人間は524人。その内、食われた者は百数十人。
武宣県において食人行為を行った者は推定1万~2万人にのぼる。
1968年7月1目、武宣県の桐嶺中学副校長・黄氏は、糾弾大会につるし上げられ殺された。学校の食堂や廊下、区役所の炊事場でや教員宿舎や女子学生宿舎で、人肉を煮たり焼いたりしての人肉料理の宴会が行われた。
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/177.html#id_d4a2401b
肝を盗んで持って帰るこそこそ段階、高潮期には集会を開いてライブで処刑、
その場で解体し、おおっぴらに人食いができた。第3段階に入ると、食人大衆運動期で、
人肉が目的であるかのように、糾弾集会が開かれ、言い掛かりをつけて多くの人間を
殺し、いや、まだ生きていても肉を削がれていった。手際のよい解体方法まで普及した。
胸のところを「人」の字に切り裂いて、下腹部をドンと踏むと、肝臓と心臓(おいしい部分)
がピョンと出てくるのだ。群集は毎日、文字通り度胆を抜くリンチで大宴会をひらいてい
たのだ。
http://current-affair.blog.so-net.ne.jp/2006-04-04
略)
もっとも残虐な食人事件は、生きているままで腹を裂き、まだ息絶え絶えなのに肉一切れ一切れを削ぎ落とし、その人肉を油で揚げて食べるということだろう。」P六二~六三
「陳は最初、腹を裂き、肝を取り出すことができなかった。どういうふうに手を下せばよいかを知らなかったのだが、そのとき、一人の年寄りが彼に人肉と肝を切り取る要領を教えたという。腹部に向かって『人』の字をの形で霧、足で力強く下腹部を踏めば、心臓と肝臓がすぐとび出て来るということを教えたのだった。つまり、これは、腹を裂き、心臓をえぐり取る技術がすでに存在していたことがわかる。」P八〇
「一九六八年七月一日夜八時、
略
黄副校長の人肉は、人間の教育と人材を育成する場所で、すっかり削ぎ取って持ち去られ、最後は人骨しか残らなかったという。まことに恐ろしい光景が出現したのであった。
略)
やがて、人肉削ぎが始まり、だれが最初に切ったのか、諸説紛々いろんな説があるが、大多数の証言によると、当時、女子学生の紅衛兵・覃柳芳が最初に人肉を削いだようだ。彼女は、黄副校長の息子と恋愛関係にあり、彼女は自分の立場をはっきりさせるために、人肉を取る行動に走ったらしい。
彼女はもう一人の学生の名前を告白した。黄佩農である。彼は、最初に肝を切り取ったのだった。
略)
彼女の証言によると、自分と甘票英らが見たところでは、黄佩農は肝を下げて、近くの田んぼまで行って、水で洗い、その後、肝を炊事場まで持っていったようだという。また多くのクラスメートも同じく人肉を切り取って、食堂まで走っていったという。
略)
この日の桐嶺中学は、人肉料理をつくるのに忙しく、賑やかな光景が見られた。
厨房で人肉を煮たり、教員宿舎で人肉を煮たり、女子学生宿舎でも人肉料理をつくっている。教室の廊下で人肉を焼いたり、校内で人肉を焼いたり、臨時的につくられた二つのレンガの上に瓦をのせたかまど、自家制作の即席かまどで人肉を焼いているのが目撃されたのである。
政府側の資料でさえ、こう書いている。
『七月二日、桐嶺中学校の厨房のまわり、宿舎の縁の下など、人の肝、人の肉を焼く状況は、いたるところで見られた。いたるところが血だらけで、臭気が、なまぐさい匂いが漂い、煙がもうもうと出て、焦げた匂いが充満し、恐ろしい状況が人の度肝を抜いた』
略)
人肉を食うことができなかったのは、四人の黒いグループと言われた教師だけである。教師達は、たった二つの小さな竹かごに黄副校長の遺骨を入れ、牛の骨を担ぐように集めて埋葬した。
略)
・ ・・七月二日午後五時、われわれ四人が呼ばれ、遺骨収集に行った。黄副校長の遺骨は運動場近くのかわやの側に置いてあったので、二つの竹かごだけでそれを全部入れた。頭は殴られ、真っ黒にはれ上がり、大腿骨とすね、そして手の肉は全部、切り取られ、肝、心臓、性器もすべてとられ、胸部は空っぼで、はらわたも流れ出していた。」P一〇一~一〇六
「文革期間に、武宣県で殺され、迫害によって死んだ人間は五二四人。そのうち、食われた者は百数十人。最終的に裁判で有罪判決となった者は三十四人。刑期がもっとも長かったのは十四年、最短二年。一般的には七~十年の刑であった。
ただ民衆の不満を和らげることができなかったのは、たった一人の死刑者もでなかったことだし、無期懲役さえ一人も出なかったことだ。簡単に計算すると、一人の人間を殺しても、刑期はたった半年だけにすぎないことになる。
略)
さらに人肉を食べた人間は、ただの一人さえも法的制裁を受けたことがなかった。私は武宣県の文革収拾事務所の四百余人の食人者の名簿を握っている。」P一三一
http://www.tamanegiya.com/sinanosyokujinn20.11.11.html
手頃な値段でたくさん売ってる状況で、人の肉の味なんて興味わかねぇな
肉も何でも食べる奴のは酸っぱくて食えたもんじゃない。事故に合った奴に許可とってその場で肉片持って帰って食った奴が言ってたからまず間違いないと思うけど
だったら人を食うな。
文化以前の自己防衛だろ
なんにせよビール大好き自由放牧、時にはクラシックも聴くオレの肉は神戸ビーフに限りなく近いハズ
食われんように気をつけねば
人肉と謂えば昔誰から
ザクロ(?)みたいな味らしい、と謂うのを聞いた
結局のところ喰べた人しか分からないな
親父が大腸癌の手術をしたときに見せてもらった切除パーツは生モツそのままだった。
旨そうだった。
ちゃんと血抜きしなきゃマズイに決まってるだろうに
今じゃ削除されてて見れないけど参加者のブログに味の事とかが軽く書いてあった気がする
まぁ、棒と玉の部分の味と手足の味じゃだいぶ違いそうだけど
魍魎(もうりょう)という妖怪は、死人のはらわたを好んで食べ、首かじりという妖怪は、名前の通り死人の首をかじるようです。
日本の古くからの人肉食というとこんなところでしょうか。
ざくろは血の味…なんて、よく言われますよね。
私はザクロ好きですけれど、血の味がするとは思いません。
人類が増え続け、150億位になった時
食べる側と食べられる側に別れたりして
人肉食べたよ事件で、よく殺害してスープにしたとかあるけど、人肉もやっぱり血抜きするしないで味が違うのかな
通常人間て雑食だから、そういう加工の有無で結構違ったりするのかなーと気持ち悪いこと考えてごめん
まあ、突発的に食べちゃうのとノウハウがあって味わうのためや儀式のために食べるのとでは、根本的に違うんだろうし、食人の習慣がある人種や部族だったら、あと中国の両脚羊とか、そういうのはそもそも食べるのが目的だろうから、たぶん「食肉にするための加工」のノウハウがあるんだろうけど(それとかドイツだっけ、肉屋が殺人→人肉販売してたやつ、ああいうのも肉屋だから血抜きとかある意味完璧wなんだろうけど)、そういう加工しないで単に殺害→喰っちゃう、っていう事件だと、どうなのかなって思ったんだ
(カニバ事件の際の犯人は精神的にアレ→喰う→味とかどうでもいい・「喰う」という行動が第一、なのかもしれないけどさ)
私の友人に出産の際、自分の胎盤を食べたって人がいます。
生レバーと同じ味だったそうです。
味の嗜好というよりは、自分の悩みの象徴?を分かち合ってほしい、存在を認めてほしいみたいな欲求がある気がする。同意はしかねるけど。
「仔牛肉のような」って形容があるときは極上の風味と言いたいんだなと思われる
おいしくはないだろうな
おいしいと感じてる人は悟りの境地に達しているかもしれん
あとは何を食って育ってたかだろうな
とりあえず皮膚はゴムみたいって聞いた
コメントを投稿する
食べたくねぇし