2012.05.22 (Tue)
無腿歌手登上泰山 (video)
―人民網(中)―
19日午前9時、無腿歌手―脚のない歌手として知られる陳州(29)は、両腕で体を支えながら、山東省にある標高1,532メートルの泰山の麓にいました。これで陳州の泰山登山は12回目となります。
物乞いをして暮らしていた13歳のとき、列車事故で両足を失った陳州は、16歳になると流浪しながらストリートシンガーとして生計を立て始めました。泰山に出会ったのはちょうどその頃です。
道行く人に「自分にも上れるだろうか」との彼の問いかけに返ってきたのは、「君はそんなこと考えないほうがいい」という冷笑でした。その言葉で、陳州はこの山に上ってみようという思いに取りつかれたといいます。
9時半、上り始めた彼に向かって周囲の観光客から声援がとびます。上り終えたのは夜の10時半でした。服は汗で濡れ、両手には6つの水ぶくれができていました。
陳州は言います。「堅持した人生を送れば、思うがままに景色を楽しむことができるんです。山を上る過程で、新たなる力と信念がわいてくるのを感じ、喜びを覚えます」
手にした箱を台替わりにして、胴体を少しづつ運ぶ感じなのね
無いなら無いで、いろいろやり様があるのな
わざと事故らされたんじゃ…
あれがないと歩いている内に手がすりむけてしまうのでしょうか。
箱自体 結構重そうに見えるんですけどね、それにしても大した腕力です。
「思うがままに景色を楽しむ事ができる」 このセリフはかっこいいですね。
両腕を使った移動と聞いて右足が義足のブレイクダンサー B-Boy Juniorを思い出しました。
http://www.youtube.com/watch?v=ammAU-RKDhs
この人は、最高にかっこいいです。
やってみて達成した時の感動は半端ナイよな。
両手が無いのに、車の運転も水泳もする。
レポーターの「両手が無いのに凄いですね」という言葉に、
「両手があっても運転が苦手な人がいますよね。私は運転が得意なだけ。
腕が無いというのは、背が低いとか高いとかと同じ単なる個性ですよ。」
誰もがちょっと努力すれば色々なことはできる。
できないのは甘える心があるから。
その甘える心に過剰に反応する差別の心があるから。
障害者が山を登った。
「お疲れさん。景色はどうでした?筋肉痛になるかもwでも勲章ですから仕方ないですね」
健常者にかける言葉と同じ言葉をこの人に。
なりふり構わず活きて行くのがアリなのが中国。
そしてレールを外れると行きる選択肢が極端に狭まるのが日本。住みやすいけど、活きにくい。
股間部分が地面で擦れたら痛いもの
何事も工夫して研究して進歩する。その行程の時が人間一番キラキラしているもの
それを知る者は
叡智が育まれる!
なくても構いません。
~を堅持する という使い方に聞き慣れているだけです。
記事の「堅持した人生を送れば、」は、「自分の考えをしっかり持ち続けた人生を・・・」
とさらっと理解できます。
それぞれ使いやすいのが有るんだろうな
でも確かに固いから手へのダメージは大きいだろうけど
身なりはもっとみすぼらしい感じでもっと地べたを這うように2つの木箱のようなものをずらすように
動かしていました。その時も車椅子とかもっといい方法があるのにと自分も思ったものです。先進国ならでは考え方でしょうが... 木も重そうだしなぁ。
素手なら30分草刈機を押しただけでも手にまめが出来ます。せめて手袋を嵌めるとかすればいいのにと思います。
普通普通。
方輪とかいざりとか言うな。
足がふじゅうなだけだお
辛く苦しい過程でも、一歩一歩進んでいけばその分山頂は近づいてくる。
山頂では、努力した者にのみ与えられる最高の景色と空気、静寂。
ただ、天気悪いとただの徒労になるんだよねーこれが。
やっと山頂に着いたと思ったら、さぶくて目の前真っ白で何も見えなくて、足元だけ見ながら早々に下山なんてざら。
それもまた山の愉しみ。
足が不自由なんじゃない。
足が「無い」んだろ。アホか
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