2012.05.11 (Fri)
1日あたり200体の遺体が持ち込まれるヴァラナシの火葬場 (21p)

画像は、インド、ヴァラナシ。
ガンガー(ガンジス川)の川べりには、2つの大きな火葬場があり、1日あたり200体の遺体が持ち込まれ、薪を燃やす炎の絶えることはありません。
古くからヴァラナシで火葬にされると輪廻から解脱できるといわれ、遺族たちは死者に明るいローブを着せ、花で飾り、供仏とともに遺体を運び、ガンガーに浸してから火葬にしてもらいます。
ただ、火葬にできるのは、自然死で亡くなった人間に限られ、子供や妊婦、金のない者はそのままガンガーに流されます。
かつてイギリスの統治下にあった時代、火葬場を郊外に移転する計画もありましたが、ヴァラナシの人々はこれに強く反対を唱えました。結局、移設を取りやめたイギリス当局は「火葬場が町のために存在するのではない。町が火葬場のために存在するのである」という言葉を残しています。
火葬場の写真撮影は厳格に禁止されている(日本版Wikipedia)そうで、貴重な画像かもしれません。




















とても厳粛な心持になりました。
炎の温度や立ち上る煙のにおい、ぱちぱちと爆ぜる音まで感じるような錯覚を覚えました。
自然死ということなので、送る側もなんだか穏やかな表情なのでしょうね。
それにしても、輪廻からの解脱。
私は輪廻思想はとても好きなので、解脱したいとは思わないのですが、罪深い現世を想えば解脱した方がいいのかな。
んー、でもやっぱり現世を引きずってまた生まれ変わってみたい。
この火力じゃしっかり焼けないだろうなあ・・
3週くらいはしたいな
すごいなソレ
インドはやはりすごい不思議な国だ
こういう風景とかガンジスで流れる遺体とか見たら
確かに人生観変わるんだろうな、行ってみたいような
行くのが怖いような
死んどけ

「火葬場が町のために存在するのではない。町が火葬場のために存在するのである」
ヴァラナシは死者としての始まりの場所。その場所を変えるなんてありえない。
もう二度と語り合えない縁の者。その者へできるだけのことをしよう。
先に行く者の道を整え、死者への未練を断ち切る為のモノ。
葬式は残された生者の為のモノ。
かの者は次の道へと歩みだした。
さぁ送り出そう、新たな道を。
泣いては安心して進めやしない。
黙ってその旅路を祈るのみ。
夜は北斗の拳のような感じで、日本人が一人で歩くのは危険です。
牛が多い
車のクラクション鳴らしすぎ・・・
駅のホームに牛がいました
確率的には宝くじの1等くらいな気がする
脳みそが沸騰して頭蓋骨が割れる音がしたり、
割れた頭蓋骨の隙間から湯気がケトルの様に「ピー」と抜ける音がしてました
お金のない人がそのまま川に流されるのはまだましなほうで
もっとひどい扱いだとゴミ捨て場に捨てられます
犬のご飯になります・・・・・・・・・・・・・
輪廻思想は釈迦が生まれる前にすでにあり、
釈迦自身は輪廻思想を直接否定はしていませんが、
あくまでも「方便」として是認していたにすぎないようです。
個の死は絶対的消滅であり、輪廻しないというのが釈迦の真意
のようです。死は絶対的消滅だからこそ、命は大切であり、
かけがえがないものと釈迦は説いたのではないのでしょうか。
また、輪廻からの解脱というときの「解脱」も本来の意味ではなく、
適切な表現ではありません。
トー(^o^)/
人生は死ぬまでのプロセスでしかない
死の先は無なのか、それとも新しい世界が開いているんだろうか
これもまた永遠のテーマなのかな
なんて事を考えさせられる記事ですね
本来こうやって死生観を育んでいくものなのかも
真似は出来んけども
でも「死」に近づいている姿・変化は見ることができますよ。
シルバーカートを押して歩く人のいる街中。
車椅子だらけの特別養護施設。
高齢者の比率が多い病院の待合室。
そこにいる人たちは紛れもなくこの国を今の様な状態に引っ張ってくれた人たち。
それがヨタヨタよぼよぼ・・・
そして親の介護。
子供の頃の親を重ねてしまう。
抱っこに肩車、どんなにぶつかっていっても倒れなかった父親。
それが今はベッドで寝たきり。
料理に裁縫、色々と教えてくれた母親。
それが今は数字もわからない。
体力・技・知識。
それらの全てが縮小していく。
どんどん縮小していく。
悲しかったり、悔しかったり・・・
そして身に染みてくる。
「あぁ・・・もう近いのかもしれない・・・」
でも、諦めない。
というか諦めきれない、諦められない。
世話をすればするほど、感覚が現実味を帯びてくる。
逃げなかった経験者にしかわからないリアルがそこにある。
日本人には合わないよね。
ご指摘の通り、「解脱」は本来の意味ではありませんね。
しかも仏教の話で…。
ご指摘ありがとう。
うっかりつかってしまいました。ややまいったまいった。
気を付けます。
はい、完全に骨だけにはなりませんよ。手漕ぎボートに乗っていると、
たまに鈍い音がして遺体に当たりますw
ここの対岸の砂地を歩くとポリポリと骨が割れる音がして複雑な気分になれます。
そこは不浄な土地と呼ばれて普通の人は住まない土地で建物が一切ありません。
夜に観光客が行くと大変な目に遭うと有名な場所ですので注意して下さい。
朝一番にガートを歩くと沐浴をする敬虔な信者が沢山いるのでオヌヌメです。
インド人はここの水を飲んでいますが日本人は真似しないようにw
おそらく世界中のバックパッカーが物珍しさに写真を撮るからだろうね。
火葬の風景を見物されて写真とられるのはどんな気持ちするんだろう?
俺は言われた通り、写真は撮らなかった。
でも物見遊山で現地に行った自分の気持ち分かってるから、なんか複雑な気分だったのを覚えてる。
日本人からするとインドはまさにカオスそのもの。
全てのものが衝撃的な記憶として残ってる。
その中でもバラナシは特別だったなー。
また行きたいと思う。
「経験者にしかわからないリアルがそこにある。」←その通りだと思います。
私は現在94になるばあちゃんと一緒に暮らしています。
ボケがかなり進んでて、ご飯を食べた10分後に「ご飯はまだ?」と聞かれます。
寝るか、起きている時は食べることばっかりを考えているように見えます。
最後は生きるための欲求だけが残るんだなと知りました。
シモの世話ももちろん一人では出来ません。
母は「嫁の勤め」だといって甲斐甲斐しく世話をしています。
そんなばあちゃんと一緒にいて、最近一つ残念に思う事があります。
それは私がまだ未婚で子供がいないということです。
人間が老いていくことはとても残酷で悲しいことです。
ですが、それを見るという経験は、人間にとって必要な事ではないのかなと思います。
特に幼少の時期にそれを見るということは、人格形成の上で非常に重要な何かがあるんじゃあないのか?
私の子供に、ばあちゃんが日に日に老いる姿を見せてやりたい。
と、そんなことを思うようになりました。
老いることを見ると、死ぬこともまた考えます。
死ぬことを考えるのは、生を考えるのと同義な気がします。
ばあちゃんが、出来ることなら楽に、このまま家で亡くなって欲しいと思う今日この頃です。
素晴らしい家族ですね。
ニコさん・ニコさんのお母様・ニコさんのお婆様、みなさんが優しいように思えます。
ニコさんのお母様が「嫁の勤め」と言ってのお婆様の世話。
口で言うのは簡単ですが介護はなかなか十分にできないモノ。
多くは養護施設に入れるように奔走しますが、それを家で看ている。
大変な事だと思います。
それと同時に、いっぱいいっぱいなのかもと思います。
だから「嫁の勤め」と自分に言い聞かせている気がします。
そうまでしてお婆様の為に頑張る。
並みの優しさではないと思います。
そしてニコさんのお婆様。
>最後は生きるための欲求だけが残るんだなと知りました。
実は我が家と違うんです。
我が家の場合は「プライド」が最後に残りました。
知識・技術・体力が落ちていってもなお「自分はやれる」。
世話をしてくれる人にもきついことを言い続けました。
ニコ様のお婆様は、「生への願い」。
それも他人へ命令するのではなくお願い。
生は、自分の為であり、愛する家族を悲しませない為でもある。
優しい心がボケが進む中でも優先されていると思いました。
最後にニコさん。
生と死はまさに同義。
まだ見ぬ自分の子供の為にそれを見せてあげたいと。
きっとお婆様へ曾孫を見せてあげたい気持ちもあるんだなと感じました。
でも子供がまだな事であまり自分を責めないでくださいね。
女三代、みんな優しく素晴らしい家族だと感じます。
残りわずかとなりましたが、今日は母の日。
素晴らしき時間でありますように

藤原新也の写真思い出した。
あれ実際見るとショッキングだろうな。
インドに行くと人生観変わるとは言うけど、確かに変わる奴もいるだろうさ。
日本とは常識何もかも違う。日本に比べると死が普通で隠されていないからどざえもんみたいなのがあちこちガンジーの岸で鳥やら動物が漁ってる。
臭いも近くだと日本じゃまず嗅げないレベルのところもある。
残念だが俺はインドへ行って二度と行かないと誓った。あれは俺には土人すぎて死者が哀れにすら思えてしょうがなかった。
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