2012.03.16 (Fri)
エアブラシを使わない、鉛筆だけのハイパーリアリズム―ポール・カダン

―Daily Mail(英)
写真と見紛うばかりの画像は、ハイパーリアリズムのアーチスト、ポール・カダンの作品。
スコットランド在住の47歳は、信じられないほどの精緻さで写真を再現することができます。しかもこれらはすべて鉛筆画なのです。
作品ひとつにかかる時間は3週間から6週間。カダンはA0からA1サイズの絵を年に7枚描き、それらはギャラリーで1枚5,000ポンド(約66万円)ほどで売られます。
彼はこう述べます。
私は6歳の頃から絵を描いてきた。小さい頃からずっと画家になりたくってね。ハイパーリアリズムは、よりテクニカルなフォトリアリズムとちがって感情や文化的社会的なインパクトを創出することができる。私の創造のモチーフとなっているのは、ありふれたものを強調すること。人々の日常といった場面にエモーショナルを付加する。むしろその写真に込められた内面を描きたいのだ。
カダンは今年、アメリカでいくつか展覧会の予定があるほか、日本のアンビリーバブルというテレビ番組にも出演することになっています。




やっぱ絵の具使う絵画の方が高く売れるのかな。
もっと違う面でその技術を活かせて2000~3000万円の評価があったらいいね。
どんな技術持ってるんだ…人物だけじゃなくて、背景の調度品や街も、パースごとすごい…。
個人的には上から3枚目のタバコ咥えてるおじさん(おじいさん)のが欲しいw ポストカードサイズで手軽に買えたら絶対買う。
という特徴がそう思わせるのかわからんが、
この人の公式の複写品が出たとしても、欲しいとは思わないだろうという不思議
すばらしい風景画ならたとえコピーでもPC壁紙にしたいところだが、作品の力なのか、ジャンルの特異性なのか・・・
『子供と子犬』とかのあざとい組み合わせの方が売れそうな気が・・・・
それとも写生してるみたい実物を見ながら描いてるの?
持ってる技術は相当なもんだ
ただ・・・
写真でええやん
(自分は否定したいっぽいけど、そうなっちゃってるやん!)
でも!フランダースの犬のネロ少年の作品も相当のもんやぞ!
コラの神になれるw
最短で3週間。年間52週で17作品。1122万円。
急いで仕上げればいい稼ぎ。
のんびり描けばいい趣味。
神が降りてる。
売れる確証が全く無いから描かないよね
うちの実家にもある。
それはさておき、この作品なら写真で食っていった方がイイ気がする。まあありきたりだけど。
実写に近いクオリティーで,ありえない構図も可能。
「写真でいいじゃん」って多くに言われてるように
こういう普通の絵とかじゃもったいない。
この人は目で見たものを絵にするんじゃなくて、
↓こういう写真をもとに模写する人だから。
http://www.shutterstock.com/pic-56736646/stock-photo-old-truck.html
ttp://www.colourbox.com/image/homeless-man-on-a-city-street-image-2482625
確かに、写真以上の内面が出ているようには見えないな。
実物を見たら違うんだろうか…
機械みたい。
もしかして、ルーペとかで書いてるのかな?
確かにこの絵に感嘆するけれど、それは技術に対してであり、
絵の内包する”なにか”にでは無いのですから。
エアブラシはトーンの変化(明るさの階調)、グラデーションを出したい場合に使うもの。
我々が目にする世界ってのは、100%グラデーションがあるといっても過言ではない。
変形しているもの、平坦であっても光源からの距離が違ってトーンが無段階に変化している。
リアリズムとはそれをいかに表現できるかなので、表現する為の手法としてはエアブラシが最適なのです。
リアリズムから遠く離れた書き方が線描、いわゆる漫画です。
エアブラシはとてもよく出来ていて、1本の操作レバーの、押し込み加減でインクの流量を変え、
倒し加減でエアの強弱を変化させる。絵だけではなく、模型の塗装に用いるととても効果的なものです。
鉛筆でそのトーンの変化を描くには、芯の柔らかいBを使い、描いた部分を指や丸めたティッシュや布など
でこすります。芯を軽く削って粉を落としてこする方法もあります。
極うすいトーンの場合は、その黒ずんだティッシュでこする方法もあります。
白い線は、削って角を出した消しゴムでスッと消します。
リアリズムの絵は裸族のひと | 130330 さんも言われるように、チャレンジだと思います。
手元の絵を模写するくらいならその写真でいい訳で、アートは基本、自己満足だと思います。
自己満足のためだから、数ヶ月、数年掛けられるのでしょう。
商売だったら量産しなくちゃ。
捻くれたコメント多すぎ
実物を舐めるように見てみたい
病的根気があれば、ドットを移すだけだから誰でもできる。
元の写真はオリジナルか?ってとこりが問題。
心底ビックリして、その技術に感動したけれど、
ほとんど同時に「これなら写真で良いんじゃ?」と
思ったことを覚えています。
ハイパーリアリズムの背景に流れる主義主張に関しては
良く分からないけれども、これだと「えっ、写真じゃないの
すごーい」と思われて終わっちゃう様な気がします。
せっかく絵が上手なのにもったいなくないかな?
でも抽象的な絵を描いても、評価されなくては同じですかね?
美術予備校や専門学校レベルの描写訓練で写真模写やらせたりするくらいで、
技術的には予備校生レベルでじゅうぶん描けるから、やりたい人は一年くらい通えば?
それくらいで誰でもできるようになるしデッサンと違って個人差もあまりない
一言言っとくけど、描いてて鬼のように単調でつまんないから、これw
デッサンのように三次元データを二次元に組み立てなおすために考える要素もなけりゃ、
チャッククロスみたいに応用していろいろ展開するわけでもないしねー
毎日十時間くらい編み物やってても平気って人なんかには向いてるかも知れんが
団体展出してる人とか、地方の人とかでえんえんこういうのやってる人は日本にも
意外といるから興味ある人は見に行ったげれば?
こういうのでも絵は実物見ないと画像じゃわからんとこあるよ
これも原寸で実物にタブローな要素がなにかあれば、も少しいいのかもしれん
>>130385
半分くらいはかろうじてまあ正解
絵ってそんな極端に狭い範疇のことだけあげつらっても成り立たんから
ピアノで言えばバイエル練習してるならそんなんでええよ、みたいな感じね
写真のドットを全て手描きで描いたって出来上がりは同じじゃんね。
写真みたいに描きたいなら写真でいいでしょ。
”手描き”ってのは、せいぜい話のタネにしかならないよ。
捕食シーンの動画ばかり集めたサイトを最近はじめました。
興味のある方は是非。
でもやってないでしょ?
ならば、実際にやってみてこうやって世に周知されているくらい努力している人を
バカにはできないと思うよ。
時間をかければ誰だってできる⇒自分は時間をかけられないからできない。
つまりは、結局できないのだよ。
絵の世界は正直わからないけど、努力して認められている人を技術が無いとたたくのは
簡単だが、努力していることが、それで報われなくなるのはちとかわいそうだ。
でもま、芸術は人それぞれで感じ方が違うもの。気に入れば買って作者に次の制作意欲を
与えてもよし、気にいらないなら、見るだけで買わず、世の自然淘汰にまかせればよいのだ。
>でもやってないでしょ?
その反論はよく使われる言い方だけれど、おかしいと思います。
点描にしても、製作者が費やした時間、私は別の製作や機器のメンテに時間を費やしています。
それは、出来ないからではなくて、別の作業をチョイスしただけの話し。
やってないでしょ?って言うけれど、私は経験あります。
仮になくても、同じことを言います。同じことをやった人でなければ、批判や意見をするのは
いけないことですか?
であれば、誰も映画に否定的な意見が言えなくなるし、スポーツにも政治にも何も言えなくなる。
やってないのが事実でも、それが何?ってこと。
私がやってきた数々の製作と同じことを彼はしましたか?やってませんよ。
だからって、彼を「君は私と同じ事をしていないだろ?」と批判しません。
>つまりは、結局できないのだよ
やってないこと=できないこと となる言い方もおかしいでしょ。
私が作った数々、彼がやってもできるとおもいますよ。
その内の一つが記事で紹介されれば、おおーと言う人もいれば、
誰でも出来ると言う人もいるとおもいます。
そういうこと。
> やりたい人は一年くらい通えば?
そういう生意気なコメントいらないから。
>デッサンと違って個人差もあまりない
絵の技量はありそうだけれど、色んな意味で経験が少ないことが読み取れますね。
手仕上げで個人差が出ないものってあるの?しかもこれだけの作業では差がどんどん出る。笑われるよ。
>描いてて鬼のように単調でつまんないから、これw
それはあなた個人の感覚。あなたにとっては、ジグソーパズルもつまらないものになるのでしょう。
徐々に仕上がっていく喜びがわからない人には、絵はわからない。
>編み物やってても平気って人なんかには向いてるかも知れんが
なんて単純な思考。人ってそういうものではないよ。ここにも経験の少なさが出ている。
>そんな極端に狭い範疇のことだけあげつらっても
ここは美術関係者向けの投稿欄でもないし、ここのコメント欄向けに書いています。
ということも読み取れないのは、やっぱり経験が少なすぎ。
因みに私は、美術部で教えていた経験があります。
やったことが無ければ批判批評できないとまでは思わないが
敬意は持って論ずるべきだとは思います。
この作品の作者がどれほどの腕前で、どういう性格で、現在どれくらいの
生活レベルなのかはしりませんが、、
誰でもできるという事と、この人の作品が世に認められているということを
比べて考えた時、違和感を感じるのは、この人は、誰でもできるといわれていることを
愚直に極めているからなのかなと思いました。
誰でもできる作業でも、ここまで大がかりな事はしない。それは時間の無駄だからだ。
で、あるならば、この人はその時間をかけることを惜しまず、点の数も通常よりも詳細に
しているのであれば、それは彼独自のクオリティだと思う。
私が吊さんの言葉に感じるのは、私でもできる。という傲慢さと、相手を思う「思いやり」に
かけた発言だなってことです。
彼と同等、もしくは彼以上に絵が上手なら、なおさらその過酷さ、生業にする難しさなど
困難な部分に目を向けられるのではないかな。っと思いました。
>敬意は持って論ずるべき・・・
そうは思いません。
どの点に敬意を?聞くまでも無く、地道な多大な労力に対してですね?
お疲れ~とは思いますよ。でも敬意ではない。
父への尊敬と感謝の念が突き動かしたのだろう、いい事だねと思うし、
点描でここまでやるかよ、ばからしいとも思う。
それが私の客観。敬意は起こらない。
でももっと別のビジネスモデルがある気がするなぁ…
やれば誰でも出来ることは否定しないが。
批評と排他の違いもわからない人間は底が知れてる。
こうやって画像で見ると写真と同じだからおもしろくないけど、実物を見れば鉛筆特有の質感が出てまた違った感覚で見られるだろうね。
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