2012.02.17 (Fri)
ヒーリングスポットの癒やしの血―カザフスタン (11p)

―雅虎(Yahoo!中国) ほか―
ここは、カザフスタンとキルギスタンとの国境近くにある村、ウングルタス(Ungurtas)。
アパスカ(Apashka)という名のトルコ生まれの巫女は、8年間を費やして2002年、この地にパワースポットを見いだしました。
農場を設けたアパスカは、ここをヒーリングスポットとし、毎日、ロシア、ウクライナ、ベラルーシから訪れた人々に癒やしを施します。儀式は簡単です。羊を殺し、その血を裸の信者にかけて清めます。信者たちはここでの生活をよく心得、川から水を汲み、炭火を絶やさないようにし、家畜の世話をします。
アパスカは1年でおよそ1万から1万5千人の人々を癒やしているそうです。










動物の血でヒーリングだあ?はあああ?
としかいいようがないよ
この国から見てると、とても「癒し」と呼べる様な雰囲気は感じられない。
ホステルを思い出した。
頭から流血してるやーん
賢い人→子供一人が田を継ぐ。 馬鹿な人→子供みんなにタをワケる。
花を見て癒される人。
ネコを見て癒される人。
食べに食べまくって癒される人。 なーどなど。
髪の毛を剃り、ミスって流血。
羊の血をかけてその後どうするのか知らないけれど感染症には気を付けなさいね。
で、
>アパスカは1年でおよそ1万から1万5千人の人々を癒やしているそうです。
ざっくり数えて毎日休みなしで一日27~41人。
画像を見ると一度に血を浴びているのは7人。
ってことは、殺される羊さんは一日4~6頭で、年間1460から2190。
儀式する時間なんてあるの?
血抜きした羊さんは食べてる?OR出荷してる?
スゲー説得力あんだな。
同行の友人に赤い飲み物を勧められた。
頭から掛けられなかったけれど。
そして、羊の肉をたらふく食べた。
その後、ビールを飲んだが、なぜかSAPPOROしか置いてなかった。
違うか。
◯ 戯け
本気で信じる人がいるとダメなので一応。
日本の文化を否定されるのと同じだお
元は田分けだし、私は田分けの表記のほうがいいと思ってる。
歴史を感じるしね。
誰か、田分けって書いたの? 見つからないが・・・。
豆: 相続の際に、田畑を分割相続する風習があったが、
分割で作付け面積が減ると収穫も少なく、納税の際に
かえって苦しくなることから、田分けは愚かなことだという意。
って患者に渡すのと同じプラシーボ効果だろ。
効果がない奴は信仰心が足りないとか言われて虐待されそう。
最初にタワケ=タをワケると書いたのは、タナトス | 129070 さんです。
でも、残念ながら、吊りさんのおっしゃるのは俗説。
裸族のひと | 129081 さんのおっしゃることが正しい。
もともとは「戯け(たはけ)」と表記し、古語の「戯く(たはく)」という「ふざける、ふしだらなことをする」を意味する動詞から変化したものです。とても歴史ある言葉です。
「田分け」は、後から誰かがうまいことを言ったもんだから、それが語源であるかのように、まことしやかに広がっているんでしょうね。
もしかしたらネットが発生源だったりして。
だいたい、田畑を分割相続する風習って、どこの風習です?
「田分け」なんて表記するの、恥ずかしいからやめた方がいいですよ。
ちゃんとした古語辞典を見れば、すぐに「戯け」とわかりますよ。
田分けは俗説?
うちのブリタニカには詳細説明が出ていますけれど。
>田畑を分割相続する風習って・・・
江戸時代の日本ですが。
私はブリタニカを信じるけどね。
& パンダちゃん
アホ=バカ=タワケで
戯けも一つの説ですが、
田分けというのも一つの説です。
そして私もこちら押しです。
田分けの理由はごろ合わせではなく、子供に田んぼを分けるなという教えなんです。
昔の人は子だくさん。一家族に男の子5人女の子5人だとしましょう。
んで1ヘクタールの田んぼを持っているとするでしょ?
男の子が5人いるからと言って5人全員に分けると、それぞれが200アール。
そしてその子供がそれぞれ5人で分けると40アール。
次の代で5人だと8アール。
夫婦二人に男の子が5人女の子が5人の12人で8アールの農地だと一家は飢え死にします。
だから「田んぼは分けるな。田んぼを分ける者はバカ」というところから「タワケ=バカ」
「跡取り」という言葉、これ基本は長男のことを刺しますよね?
これは自分が死んだ後、「財産=自分の生きた証=跡」を「受け取る」者のことなのです。
昔、女性は男の持ち物だった時代がありました。
敵への貢物だったり、子を産む機械だったり。
女性は物だったのです。
それでは男性は?
「家」を継ぐ宝です。
細かく分けると、長男は宝で、二男はその予備、三男以下は単なる労働力。
長男は財産のすべてを受け継ぎます。
今でも天皇家や歌舞伎にその名残がみられます。
男子一人が生き残れば、その家は残るのです。
だから、田を分けるな。
田を分ければ、いずれ飢え死ぬよ。
それは家の滅亡なんですよ。
滅亡へ向かうことをする者はバカ。
タワケはバカ。
よろしいでしょうか?
なんでそんなに詳しいの?
すごいね。
タナトスさん
「田分け」が一説であるということは知っていました。
でも、それは後付けのごろ合わせである、というのが、私にとっての結論。
どんな学問にも「諸説紛々」ってのがありますが、生き物であり、時代や地域によって千変万化する言語というものは特に、これが正解ということは大変に難しいです。
それを承知の上で、私は「戯け」説を押します。
私は国文科を専攻していたもので、ちょっと言葉にはうるさいので、手ごわいお二人相手ですが食い下がって反論です。
古典を学ぶ上で、「戯く(たはく)」「戯けた(たはけた)」などの言葉は頻繁に出てくるので、結構なじみがあります。
ましてや私の大好きな江戸時代の洒落本やら黄表紙やら戯作やらにはたくさん出てきます。
古典原文のたわけの表記は、仮名では「たはけ」です。
「田分け」が語源であれば、「たわけ」になるはずです。
古典であっても「分ける」は「はける」ではなく「わける」の表記だからです。
漢字表記の場合でも、「戯けもの」などとなっていて、それを私は目にしていたので、初めて「田分け」の説を聞いた時には違和感を感じたものでした。
だいたい、「戯く」とか「戯けた」という動詞や形容詞が同時代にほぼ同じ意味で使われているのに、「たわけ」だけがそれとは別に「田分け」から発生したと考えるのは、かなり無理があります。
逆に、「田分け」から「戯け」という名詞が生まれて、それが変化して「戯く」という言葉が派生した、ということであれば、それなりに筋も通りますが、それって、ちょっと強引じゃありません? 重ねて言いますが、それでは「たはけ」じゃなく「たわけ」になるはずだし。
タナトスさんのおっしゃる「田を分けるな」という戒めは、もっともなものです。
事実、そのような考えは江戸時代にもあったでしょう。
ただ、吊りさんのおっしゃるような、「分割相続する風習があった」というのは、やはり理解できません。
タナトスさんのおっしゃる通り、日本は古くから田畑を長男だけに継がせ、江戸時代の農家では次男三男は家から追い出されていたからです。
だから、いったいどこの風習かと言ったのです。
江戸時代には、すでにその戒めが生きていたと考えていい。
でも、初めにその戒めがあって、そこから「たわけ」の言葉が生まれたとは考えにくい。
むしろ、もともと「たはけ」という言葉がもっと昔からあって、その戒めを広く伝えるために、その言葉を用いて「田を子供に分けて与えるなんて、まさに田分け、すなわち戯けじゃ。ほっほっほ。」と親父ギャグ的に使われた、なんて可能性のほうが現実味があると思うのです。
卵が先か鶏が先か論になりますが。
ということから、どこかの言語学者が「田分け」説を主張していたとしても、私はその説は支持しません。
たぶん私の古典の師に聞いても、同じ結論になると思います。
それから、ブリタニカはすばらしい百科事典ですが、あまたある辞典・辞書の類には得意・不得意分野が存在します。
ブリタニカはやはりイギリスの発祥だけあって、日本の国語分野には弱いのです。
学生時代にも、ブリタニカはディベートの資料集めには使いましたが、国文学や言語学の資料としては使ったことはないし、使っている人を見たこともありません。
真の言葉を知りたいならば、やはり生きた言語をよく知り、それを得意分野とするソースを選ぶべきです。
つまり国語辞典や語源辞典です。
ちなみに、面白いこぼれ話を一つ。
実はワタシ、昔この百科事典の日本語版を出している某社で短期の事務のアルバイトをしていたことがあります。
その時、一度だけ編集部の若い人たち6~7人と飲みに行く機会があったのですが、行った店の店名の一部やメニューに「鮪」という文字がありました。
編集部の若い人たちはみんな「こんな漢字あったっけ?」「見たことない」「こんな字ないよ。きっとこの店で作ったんだよ」とごちゃごちゃ言っていて、そのうちこっちの事務のメンバーにも「こんな字、知ってる?」と振ってきました。
私が「“まぐろ”じゃないですか?」と言うと、「えー? まぐろ?こんな字だっけ?」と半信半疑。
結局店の人を捕まえて問いただしたところ、「まぐろです。」の返事。
それを聞いて編集部の皆さんは「事務のバイトが読める字を俺ら読めないって、マズイよなー」などと、甚くプライドを刺激された様子でごにょごにょ言っていました。
彼らはプライドが高いので、その後はいっさい、事務メンバーの方に話を振ってきませんでした。
鮪って、それほど珍しい漢字じゃないんですけれど。。。
これは編集のスタッフの話。
もちろん辞典の編纂にはそれなりに名のある学者さんたちが関わるのだから、内容の正確さを疑うべくもありませんが、なんとなく、それ以来、やっぱりこの会社、国語分野では信用できないなーという気持ちをより強くしたのは言うまでもありません。
正にタナトスさんの書いていらっしゃる事とほぼ同じ内容を聞きました。
江戸時代より前の時代劇に「たわけ!」って台詞があったりするけれどありゃ嘘だみたいな話しも聞いたなぁ。
今までずっとそれ信じてました。
だからネットが発生源って事は無いと思いますよ。
私が小学校の時はまだネットなんて全く普及していませんでしたから。
っていうかこれ癒されてるの?
癒されてる感じゼロですわ。
当然ながら学者によって考え方や指示する説が異なるので何ともいえませんが。
だと思うよ。でもね、田分けを語源とする考えは無理があっても、
祖先が編み出した戒めの言葉でもある、と考えると、受け入れやすくていいのでは?
言語学的に間違っていても、より、言葉が生きると思う。
今後、田分けと書く人がいても、私は指摘しない。
まあ、いい勉強になりました。ありがとう。
なるほど 論理的で納得できる説明でした
>だいたい、「戯く」とか「戯けた」という動詞や形容詞が同時代にほぼ同じ意味で使われているのに、「たわけ」だけがそれとは別に「田分け」から発生したと考えるのは、かなり無理があります。
この説明を見る限り”戯け”説が正しい語源じゃないかと自分は思います
まあ戯けでも田分けでも 心の底からどっちでもいいですけど
1:旨い事を言った人がいた説
元は戯け。それに田分けの教えを根付かせるために、オンが同じタワケを使った。
2:元は別の説。
意味が似ていて、オンが同じタワケを混同し一つになった。
ってとこね。
何で2を置いているかというと、私は国語学者じゃないから決めつけられないし、
言葉って作られるもの、変化するものだから。
イケメンは「いけてる(Good)面」から「逝けてる(Bad)面」にと変わってきたし、
ヤバイも「拙い」から「不味い」、そして「うまい」と変化している。
ダサいの語源は「だから埼玉」。
(どんなセンスよwだから埼玉って言われるのよw が略されダサいで定着
私の嫌いな言葉で、本来埼玉の人が使うとおかしい言葉)
ちなみに田分けを作ったのは大都会The Miyako Kyoの人ね。
大都会Kyoで色々な言葉が生まれる。
そしてそれは今ほど情報網が張られていない時代、ゆっくりと円を書くように広がっていく。
ある程度地方に浸透するころには、
ナウなヤング若しくはイケテルファッションリーダーが同じ意味で違う言葉を使っていて、
それがKyoに浸透する。そしてそれもゆっくりと地方に拡散する。
拡散してきた新しい言葉を選ぶかこれまでの言葉を選ぶかはその地方の人次第。
そして時代が進んで、船での交易・ラジオの普及・テレビの普及につれて、
お国ことば・方言は絶滅に向かっています。
それに代わりワカモノ言葉・ワカモノファッションが生まれては忘れられ、次が生まれるようになっています。
だいぶずれちゃったけど、そんな理由で
2の戯け・田分け混同説が私には捨てられないのです。
もちろん1も間違っていないと思います。
だから諸説色々との立場でいます。
出来るだけ均分に分割して相続させる分割相続慣行がみられた。
分割相続と農村社会より
だってさ。
そういえば祖父は、三男か四男だけど山を持ってます。
動物殺して、その血で癒えるなんてちょっと違うと思うんだけどね…
タナトスさん
つい熱くなってしまいましたが、本当の本当は、「諸説あってどれが正解かはわからない」です。
それはわかっていたんですが、「タワケとは田分けである」なんて言いきられてしまうと、つい。
「タワケとは田分けではない」と言い切るのも、全く同じタワケた行為でしたね。
「諸説あるが、私は戯け説を強めにおすすめしたい。」くらいにしておくべきですね。
そもそも最初に「タワケ」という表現を使ったのんのんさんは、カタカナ表記でした。
なんて平和的で賢い選択でしょう。
ところで、鹿児島地方には「田分けた」風習があったんですね。
ということは、「田分け」語源説をとるなら、鹿児島県民は皆「タワケ」者ということに…(鹿児島県民さんごめんなさい)
あ、そういえば、高校時代の友達が、お兄ちゃんが浪人したためにその資金捻出のため、鹿児島のおばあちゃんが山一個売ったとか言ってたな。
これは「ヤマワケ」か。
>肉さん
ご賛同ありがとうございます。
ほんとにね、どっちでもいいんです。
その通りなんですけれど、どっちでもいいことについ熱くなってしまうのは、ただ単純に、吊りさんに対する対抗心なんですね~^^;;
吊りさんは皮肉屋だから、いつもちくちく嫌味を言われたり、コテンパンにやっつけられたり、私よりも打たれ弱そうな人を苛めているのを見て義憤を感じたりしているわけですが、なんたって知識量と経験が半端じゃない。
おまけに非常に理論的で弁が立つ。
とても生ぬるい人生送ってきた私に敵う相手じゃないんです。
いつも、「くっそー」と思いながらも彼の正論の前にぎゃふんと言わされっぱなしなんです。
だから、ちょっとでも隙を見せたらいつでもそりゃーっと玉砕覚悟で突撃です。
私が彼になんとか食いついていけるのは、「言葉のあや」くらいで…
我ながらかっこ悪いけれど、今日も元気に揚げ足取りの機会を狙っていたりします。
今回は、痛み分け~。
ありがとうと言ってもらったから、私にとっては望外の戦利品です。
本当は私も、改めて勉強させてもらいましたから、同じ分だけありがとうなんですけれど。
依怙地なもんで、毎度お騒がせしてすみません。
すぐに戯けたことを書く人々と違って素敵です。
これからも田分けた行動や戯けた思想はしないようにしますね。
だとしたら、
BBA巫女、アパスカさんは
今後もタワケた癒しを続けるんでしょうね。
そっちも気になっているんですけど ^^;
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