2012.02.02 (Thu)
新「租界」と平民生活―上海 (39p)

ジョークをひとつ。
若者が金持ちの老人に、どうやって莫大な財産を築いたのか訊ねました。
老人はいかにも高そうなウールのベストを指で弄びながら若者に向かってこう言います。
「よかろう。あれは1932年のことじゃった。大恐慌が街を襲い、わしも他人様と同じく金を使い果たし、持ち金はニッケル(5セント硬貨)1枚というありさまじゃった」
「その最後のニッケルでわしはリンゴを買った。買ったリンゴを一日かけてピッカピカに磨いてな。売ってみたところ、10セントで売れたんじゃよ」
「次の日、わしはその10セントでリンゴを2個買った。またもや一日かけてピッカピカに磨き、夕方には20セントを手に入れたんじゃ」
「来る日も来る日もわしは夢中になってリンゴを磨き続けた。それでもってその月の終わりには9ドル80セントがわしの手元に残ったんじゃ」
若者はごくりと唾を飲み込み、老人の話に聞き入ります。
「ちょうどその時じゃったかの。わしの嫁の親父が亡くなって、200万ドルが転がり込んできたのは」
とくに中国は延々同じこと繰り返してるよね
徳清会口腔病院はトクシンカイって日本読みと
同じずらかねぇ??
あと10年たったらどうなってるか。ボロボロだよ。
インフラも手抜きだし、地盤は川沿いでゆるいし怖いもんです。
東京の場合は戦後の建物だけどさ
なんとなく。貧民として扱われている人のほうが幸せなんじゃないかと思う。
いや、本当は住む所でヒトの幸・不幸は決まらんのだけどね。
なぁ 同士
たぶんこの国では、この距離が適度な距離なんでしょう。
日本でも東京や大阪などでもよく見るけど、これほど接していない。
距離が近ければ近いほど、最先端が走りきれない気がする。
この国が多くの国の常識から時代遅れ過ぎるのはこのせいかもしれない。
けして不幸では無いと思う
貧乏人は余裕が無く、教養が無く、人徳が無い
貧しいという事は人をけして救う要素にはなり得ない
金持ちは卑しく、貧乏人はきっと慎ましいというのは欺瞞だよ
スラムじゃないね
スラム独特の陰惨さがないし
話には聞いたことがあるけれど、こんなに近い距離にここまでの落差が存在しているなんて。
観光旅行では見られないであろう、大切な姿を見せてもらいました。
このカメラマンは、目線が平民のみなさんと同じなんだろうか。
カメラに向けられる笑顔の屈託のないこと。
それに、貧しい家々を撮っていながら、伝わるメッセージは決して悲惨でも卑屈でもなく、むしろ温かく強かだ。
摩天楼の方が空虚で愚かしく見えさえする。
とてもセンスのいいカメラマンだなぁ。中国の人だろうか。
それにしても、平民のみなさんが使っているバケツやお茶碗がとてもかわいらしくて私もほしい。
もし私が中国で生まれてたらどうなってたんだろう、
どういう思考だったんだろ
今見たいに宇宙が好きになれただろうか
好きな勉強できただろうか
趣味は何になってたんだろ、
仕事は、家庭は、幸福感は、ストレスは、、、、
昔はこんな下町がいっぱいあったの。でもどんどん取り壊されて新しいビルが建った。下町に家を所有していた人達は街中からはるか離れたところのマンションにお引越し。でも1家族1部屋、国から保障としてもらえるから親子で2部屋もらって、2家族で一つの部屋に住み、残る1部屋を人に貸して生活費としてる。
すごい合理的。でも地方から出てきてここに住みついた人たちは追い出されるだけなんだよね・・・。
家の前を箒で掃除していたり、布団を干していたり、
子供の頃見た風景だ・・・
トイレの問題はどうしようもないけど、
(まぁ、うちのばあちゃん家もあたしが小学校一年くらいまではポットンだったから)
それ以外、マンションよりこっちの方がいいやって思う。
あと、30年くらいしたら、こういうのを評価する人達が
中国でも出てきそうな感じがする・・・それまで残っててほしいな。
人々の暮らしがあり、ささやかで確実な人生がある。
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