2012.01.11 (Wed)
『異国風情』 中国女大学生北朝鮮留学実録 - 6

【心繋祖国】
太陽節、北朝鮮全土にわたって喜色があふれていた15日、いや正確には14日だが、中国青海省玉樹蔵族自治州玉樹県においてマグニチュード7.1の地震が発生した。数日後にこのことを知った私たちは苛立っていた。情報が伝わってこないのだ。どの程度の災害だったのか、現在の状況はどうなのか、またどうすれば救援活動に参加できるのかがまるでわからない。私たちは話し合い、大使館を通じて義援金を送ることを決めた。
北朝鮮という国家の特殊性から、こうした場合における上乗せの補助金を得ることは期待薄だ。私たちはひと月換算で40ユーロ(約3,900円)の生活費の中からやりくりし、祖国に義援金を送った。
21日、突然、その日の授業が中止となったことを知らさせた私たちは、正装させられ、胸につけるティッシュを折った花をわたされて中国大使館に向かった。祖国で今回の地震に対する追悼式が催されたためで、私たちは同時刻に哀悼を捧げた。
葬送の曲が流され、黙祷する光景はあの2008年、5月12日に起こった汶川大地震を思い起こさせる。多くの血と汗と涙が流されたあの震災で祖国は縄をなうようにひとつにまとまり、毎日報じられる感動的なストーリーは多くの中国人の心を深く捉えた。
時間は傷を癒やすだろう。しかしまだ完全には癒えてない2年という歳月の後、中国は再び落涙すべき災難に遭った。ここ平壌は祝賀の雰囲気にあふれている。しかし北朝鮮にいる私たち留学生は、みな青海玉樹の方を向いている。ただ祈るばかりしかできない私たち。しかしなんとか困苦に耐え、しかる後は永遠に平安であってくれるよう望まないではいられない。
加油(がんばれ)、祖国。
基本的に朝鮮ではネットはつながらない。電話もたいして通じず、いちばん確実なのは手紙だ。
しかしネットとともに過ごしてきたような私たちにとって、生活の中でネットが利用できないということは、ある程度覚悟していたものの、心の拠り所を失ってしまったかのような怖ろしさがある。
留学当初のこの恐怖を乗り越えた私たちは、一時、電話をかけることに夢中になった。
宿舎には固定電話が一台きりない。それも受け専でこちらからは掛けられないという代物だ。もし相手がテレフォンカードを使って掛けてきて、お金が足りずに切れたとしても、こちらからは何が起こったのかはわからない。
電話料金も高い。こちらから用があるときには私たちは通常、国際通信局、国際通信センター、高麗ホテル、蒼光院の近くの旅館で国際長距離を掛けるが、1分あたり15元(約180円)、まとまった話をすれば100元にもなる。
こうしたことから私たちは次第にお互い時間を割り振って、決まった時間に家族の方から宿舎に掛けてもらうようになった。
しかしこの一台しかない電話がまたよく不通になる。最長で一ヶ月ほど電話のつながらないときがあり、雨の日もきまってよくつながらない。いっぽうで手紙は確実だ。宿舎に戻るとき、私たちはいちばんに受付に寄り、自分宛の手紙が来ていないかどうかを確かめる。家族や友人からの手紙は異国における孤独や辛さを忘れさせてくれた。私はおそらくここで交わした手紙を宝物として一生とっておくにちがいない。
じつは北朝鮮にはネットもあり、私たちの出会った北朝鮮人はその多くが携帯を所持していた。北朝鮮の携帯はどれもデザインがいっしょだ。また携帯は、文字通り電話をかけるためのもので、メールは通常打たない。
留学期間が残り3分の1ほどになった頃、私たちは高麗ホテルからメールを打てるという情報を得た。そこでルームメイトがノートを高麗ホテルに持ち込み、従業員に北京にいる友人にメールを打ちたいと頼んでみたことがある。すると依頼を受けたホテルの従業員はネットワークの管理者に電話をかけたものだった。
ネットへのアクセスが瞬間許可され、彼女のメールが送られた後に再びアクセスは閉ざされた、と彼女は肩をすくめた。メールは1KBごとに1元もの料金がかかるため、北朝鮮からは滅多なことでは打てない。
国内にいるときにはネットがなければ何にも始まらない状況で暮らしていた私たちにとって、電話さえ満足につながらないことは生活を根本から変えるのに充分だった。携帯がなければその代わりに自分を深く見つめる時間にめぐまれる。
携帯を含め多くの通信手段にはまり込む人々がいる一方で、安らかな心をもって静かな暮らしを始める人々もきっと数多いにちがいない、そう思ってみたりもするのだ。



それ俺だわ。よく間違えられるんだよな。
>正装させられ、胸につけるティッシュを折った花をわたされて中国大使館に向かった。
>祖国で今回の地震に対する追悼式が催されたためで、私たちは同時刻に哀悼を捧げた。
本来だったら
突然、その日に追悼式が催されることを知らされた私たちは、
正装に身を包み胸には受け取った紙製の花を飾り中国大使館に向かい哀悼を捧げた。
授業は特別に中止であった。
だと思う。
知る権利、行動する権利を著しく制限され、国家の命で行動する。
この子たちは何を感じたのでしょう。
いや、ムリじゃないだろうけど、、、やっぱムリだよなぁ。。。
今の日本でもネットが遮断されたら、政府はやりたい放題だよな。
もちろん北朝鮮的なやり方でだけど
何もかもが興味深いわ
たった数年前のはずなのにえらくノスタルジーを感じるw
謝謝チキータ姐!
やっぱりこの筆者は、自分のコトや中国のことにはとても感情的な文章になっているのに、北朝鮮の通信事情についてはほとんど私情を語っていない。
そこは語れない事情があるのかなー。
それでも、電話がよく不通になることや、一部の人間は携帯電話を所持していること、デザインがみんな同じこと、メールを送信できる場所が限られていてしかも1KBにつき1元などの記述は興味深い。
できれば、どのメーカーの携帯なのか、どういう身分の人たちが持っているのか、受診はどうなっているのか、などもっと突っ込んで知りたい。
あんまりいらん事書くと、この筆者の命が危険にさらされるのかしらと思うと多くは望めないけれど。
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