2012.01.10 (Tue)
『異国風情』 中国女大学生北朝鮮留学実録 - 5

学校は4月12日に始まった。
朝7時35分、身なりを整えた私たちは幾分緊張しながら大型バスに乗り、金亨稷師範大学へと向かう。
金亨稷師範大学の創立は1948年。元の名は平壤第一師範大学だったが、1975年に現在の名に変えられたという。金亨稷というのは日本軍に抵抗した北朝鮮の民族的英雄で、金日成の父親だ。大学の位としては金日成総合大学および金策工業大学につぐものだが、その名の通り、卒業生は教師となって各地に配置される。
大学の正門には、見張りに立つ兵士がいた。黄色の軍服を身につけ、赤い星の付いたおわん帽をかぶった兵士は痩せこけて頬骨が尖ってはいるものの、その眼光は鋭く、身を引き締められる。
正門から中に入ると右側にサッカー、左側にバスケのコートがある。サッカーのコートといっても芝は生えていない。まっすぐ進んでいくと階段の上に校舎がある。バスは階段の手前で曲がって5階建ての校舎の前に停まった。校舎の正面には金日成主席の写真が掲げてある。その下には「偉大なる金日成主席は永遠に我らとともにある」なるスローガンが掲げてあった。

始業式はこの校舎の中でおこなわれた。聞くところによると学長の洪一天は、金正日の最初の妻(1966年に結婚、3年後に離婚した)だったこともあるせいか、畏怖の念がただよう。1991年に就任して以来、ずっとこの金亨稷師範大学の学長を務め続けているという彼女は、大学の歴史などを簡単に紹介すると、私たち中国人留学生を歓待する旨を述べ、優秀な成績を残して帰国するようにと激励した。次いで教研室科長や指導員が北朝鮮で生活するうえの注意事項を説明する。
始業式を終えて私たちが宛がわれたのは3階にある2つの教室だった。留学生の数そのものが少ない分、広々として感じる。机は3列。教壇の横にはオルガンがあり、私たちが過ごした90年代の小学校の教室を思い起こさせた。教壇の上には金日成と金正日の肖像が掲げてある。
窓から外を眺めると、大きな道路が走っているのが見えた。その道路の半分を占めて路面電車の軌道があり、慌ただしく出勤する北朝鮮人の姿が見てとれた。道路を挟んで隣接する団地はどのベランダにも鉢植えが置いてある。
教材として朝鮮語会話Ⅰ、会話Ⅱ、朝鮮語講読、朝鮮語語法、朝鮮地理、朝鮮文化史、朝鮮民俗の7冊の教科書が配られた。中を開けると印字のかすれたハングルがぎっしりと並び、カラーページはほとんどなく、私たちの親の世代が使用した教科書を彷彿とさせる。教科書には金亨稷師範大學出版社という版元とともに留学生用と記してあり、主体98年改訂と記してあった。つまりは2009年のことだ。
間もなく授業がはじまる。私たちはおののきながらそれでも期待を持って授業の始まる日に臨んだ。
【太陽節】
4月15日は太陽節である。この日は金日成主席の誕生日で、北朝鮮にとっては一年を通じても最大級の祝賀がおこなわれ、三日間の連休となる。ちょうど暖かくなってきた頃合いで、街も祝日の雰囲気に満ちあふれる。
私たちは中国からの公費留学生ということで、北朝鮮政府から招待状を受け、14日晩の大同江(テドン川)での花火を見物させてもらえることになった。
当日は正装が求められた。またいかなる携帯品の所持も許されず、厳しい身体検査がおこなわれた後にかなりの距離を歩いてようやく割り振られた場所にたどり着いた。ふと見まわすとまわりはすべて兵士に囲まれている。イベントはすべてこの調子だ。勝手な行動は許されない。
日が沈み、漆黒となった空に花火が一斉に打ち上げられた。それと同時にバックで勇ましい民族歌曲が演奏される。2時間にわたる花火は私がこれまでに経験したことのないものだった。
花火の最中に金日成総合大学を卒業したという北朝鮮人と言葉を交わす機会があった。私は自分が留学生だという立場を利用し、彼にさまざまな質問をぶつけてみた。いわく政府から留学生たちの監視に派遣されたんじゃないの?この催しは誰でも見れるものなの?一般の人でも見れるの?
彼は私の質問に、国家は高層の人民と低層の人民を区別することはない、ここは社会主義国家だと答えた。そしてどうして留学先に北朝鮮を選んだのかと逆に私に訊いてきた。私が北朝鮮に来たのは滅多にない機会を生かしたかったからで実際に来て見て印象が変わったことを述べると、彼は礼を言い、礼儀正しく歓迎の言葉を述べて足早に立ち去った。人と人との関係などこうして自然であるべきであろう。


明けて15日の午前、私たちは再び正装させられて金日成広場に赴き、花束を捧げる。空港に降りたってこれで二度目だ。
真紅の金正日と紫色の金日成花があふれる街から宿泊所に戻った私たちを驚かせたのは、真っ赤なチマチョゴリをまとって出迎えてくれた食堂のおばさんだった。
提灯が飾られた食堂のテーブルには、鬆餅(ワッフル)、炒雜菜(野菜炒め)、明太魚(スケトウダラ)、卷飯(キムパプ:朝鮮風巻き寿司)、朝鮮汽水(汽水はサイダーのこと)と、普段はけっしてお目にかかれないご馳走が並んでいる。私たちは舌鼓をうってすべてのご馳走をたいらげた。
太陽節はこうして過ぎた。どこか中国の春節に似ていた。金日成主席に対する愛情をそれほどもたない私たちでも、ここ北朝鮮の人々の信仰めいた志を尊重するならば素直にこの節目の日を祝したい。そう思った。

韓国から見ると世間知らず?
戦後の統治がソ連か米国でこうも変わるものかな
それにしてもぶよぶよの息子をみていると
国民がかわいそう
宿泊所の食堂のおばさんが腕によりをかけて作ってくれたご馳走だけど
失礼ながら、あんまり食欲が湧かないや
質素な食器のせいか、盛り付けのセンスのせいか
それとも単なる偏見のせいか、不気味に見えてならない
外国人用に作った料理だからなのかな
もっと、こう憎しみとか、思想とかなく、ふつうに意見が言い合える仲になれたらな。
主に中と北と米のせいだけど世界が少し危険な感じがする。アジアで戦争などおこらなければよいが、、
かといって、中国が経済、戦力、人口に物言わせて実質支配で、平和到来などは拒否だがな
餃子っぽいかわいいのなんだろう
おいしかったとは書かれてないけどw
矛盾。
「高層」「低層」とすでに区別している件。
「区別」と「差別」が同じ意味かもしれないけれど、矛盾している。
そしてそれに疑問を持たないこと自体洗脳されているということ。
疑問を持つことを許されず、言われたことをそのまま言うだけ。
高等教育を受けた者がその調子なら・・・
その者が教師ということは教えを受ける生徒は・・・
区別も差別もなく国民がすべて同じ扱いなら、
その宴の食事もみんなが食べているんでしょうね?
怒りが沸々と・・・
もうそういう予定でみんな動いてんだからいつまでも平和ボケしてると取り残されっぞ!
現地の学生達と一緒に授業受けるのかと思ってたら留学生だけ別クラスに隔離されてたんだね。
誰が戦争するつもりで動いてんだよ、ボケ
国を挙げての最大の祝日にようやっと普通の食事にありつけるのか・・
共産主義というのは素晴らしいシステムなんだけど人には運用できない
人には欲があって美味しいものを食べたい、書いてくな暮らしを送りたい魅力的な異性と一緒にいたい
共産主義にはそれらを得る手段が権力者への従僕以外にないから、結局北朝鮮やソ連のようになってしまう
欲を満たす手段の多様性という点から見れば資本主義の方がまだマシなんだろうね
日本のように社会主義と資本主義を混ぜた社会が今のところ幸せなのかもしれない
生きるためなら手段選ばんでしょ
それは悪いとはいわん仕方ないんだから
貴重な記事が読めてありがたいです。
長文翻訳お疲れ様&ありがとうございます。
しかし、この人の文章はたんたんとしていて、個人的感想があるようで実はそれほど主観が入っていなくて、NHKのニュースみたいな内容ですね。
もっと突っ込んだ本音を書いてほしい気もするけれど、この人の身の安全を考えたらこの辺が限度なのかな?
それでも、まったく未知の国の中身が少しずつ見えてきて、興味深いです。
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