2011.04.01 (Fri)
全裸の女性と300頭のブタ―韓国人女性アーチストの挑戦「The pig that therefore I am 」 (8p)
―捜狐社区(中)、COOL HUNTING(blog)、designboom(blog)―
一連の画像は、ニューヨークをベースとする韓国の女性アーチスト、ミル・キムの「The Pig That Therefore I Am」と題された作品。現在ニューヨークのドゥーサンギャラリー(Doosan Gallery)で展示されています。
数年前「Naked City Spleen」と題して、フランスの地下墓地、崩れ落ちたデトロイトシアターなど、都市における廃墟に全裸の自分を配した作品を撮り、話題となったキムは、今回の作品を自らの芸術のルーツと位置づけています。
豚に興味をもったのは、医学部に進むための過程で、人体の解剖をおこなう前に手始めとして豚の胎児を解剖したとき。ショックだった。豚は身体的に人間とほとんど変わらなかったわ。医学部に進学することをあきらめ、芸術学部に転向して、豚の絵を描いていた。そして養豚場の写真を見つけたの。
巨大な養豚場から豚肉が滞ることなく供給され続けているのに、私たちの日常生活からは覆い隠されている。そのことも当時、豚肉がどのようにして私たちのもとにまで運ばれてくるのか、たいして考えもしなかった私にとっては衝撃だった。

キムはニューヨーク、アイオワ、ミズーリと養豚場を訪ね、なんとか作品を作る許可を得たといいます。ただしどこで撮影したかについては、法に抵触する可能性もあるため、明かせないともいいます。
私を囲んでいる豚の中で、好奇心をもって噛みついてくる豚もいるわけよ。豚がその気になれば数秒のうちに命を奪われるってことも知ってた。でも豚には私を傷つけるといった意図はなかったようで、私が振り向いて不快感をあらわしたときに300ポンドの巨体が後ずさりするのは意外だった。
今月24日からドゥーサンギャラリーで始まった「The Pig That Therefore I Am」は、来月23日まで展示される予定です。






そりゃ、豚さんだって関わり合いにはなりたくないわな。
>フランスの地下墓地、崩れ落ちたデトロイトシアターなど、
>都市における廃墟に全裸の自分を配した作品を撮り、話題となったキムは、
>今回の作品を自らの芸術のルーツと位置づけています。
「韓国人女性アーチストの挑戦」ねぇ・・・
「エゴの開放」と受け止めてるんだけど・・・
挑戦というには、壁は低い感じ。
集中できなかった。これが芸術なのかも分からなかった。センスが無いとは感じた。
コメント欄の内容
はどうなったでしょうか?
たぶんコメの内容は変わらないと思う
裸でブタに交ざって、アートと言われても・・・^^;
豚に跨って、お尻をこっちに向けてくり!
あ!、いたぁ!!!!!
豚は髪の毛以外だったら全部食い尽くすつうからね 人体
さすが見てきた人は違うよ~
ああ腹へった…
芸術なんて、一人でも感動を覚えたら芸術と言えると
思うが、全裸ってとこに、興味を引かせる意図がある感じがして
なんか、、、、あざとい
芸術は、美術の授業にありがちな小奇麗な美とは違うのだから。
あの国の国籍を持つ時点でほぼ全て否定的になるのは止むを得ないとして、
女の裸と豚という、超ベタネタ、あまりにも使い古されたモチーフに、どれだけ独自の思想や手法、主張があるのか、そう見ていくと、特に何もない。
だけど、悪臭漂うであろう醜さの代表としての豚と、色香漂う若い乙女との対比はやはり人目を引く力があり、
写真を追っていくと、やがて美醜は逆転し、ありのままの豚の美しさ、愛しさが浮かび上がり、女芸術家の醜さ、あざとさが鼻についてくる。
そこまで含めての作品として見ると、あぁ、陳腐だ、そう感じつつも、女の裸ってのはいいもんだと改めて思う。
しかし本人が芸術だと感じるならば、もしくは誰か一人でもそれが芸術だと感じるならば間違いなく芸術だということだけは保証しておきたい。
俺は豚でもなんでもやってやるよ
ただし人間の男は無理!
けつはかさん!
女 優 が 可 愛 く な い ん だ が
きっかけが売名だろうとそれはそれで。
なんにせよ鯨キチガイのオージーよか、ましだ。
あたりまえの事しか考えられない、常識にとらわれた脳みそでは簡単には理解できない
ありえないベクトルへの強行軍的突破こそ前衛芸術だ!
そしてこのキムの行動が芸術とは、凡人の我々にはまったく理解できない。
これが誰かの新たな感性を引き出すものなら本物かもしれないし、
何の意味もないパフォーマンス(芸術としては駄作)なのかもしれないし。
ゴッホでさえ、評価されたのは死後だ。わたちたちは芸術を志す者を全否定する立場にない。
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