2011.02.28 (Mon)
絞首刑に処された殺人犯の皮膚で装丁されたミルトンの詩集―英

―Mail Online―
画像はいまから160年前につくられた詩集本。『失楽園』の作者、ミルトンの作品を含むこの本、一見何の変哲もないように見えますが、本を装丁しているしているのは人間の皮膚、それも絞首刑に処された殺人犯のものなのです。
本の題名は『The Poetical Works』。1852年につくられました。装丁につかわれているのは、ラットキャッチャー(ネズミ捕り)を職にしていたジョージ・カドモアの皮膚で、彼は恋人、サラ・ダンに対し、ヒ素を混入した食事を出し毒殺。
1830年3月に死刑を宣告されたカドモアは、千人を超える群衆の前で絞首刑に処せられました。
刑の執行後、病院に送られて遺体が解剖されましたが、その際、エクセターの書籍商が皮膚の一部をもらい受けたのだそうです。
こうして、ミルトンの散文を綴じるために人間の皮を使用してできあがった本が現在、エクセターにあるウェストカントリー・スタディーズ・ライブラリーに寄贈され、公開されています。
上級司書補のトニー・ロウズはこう述べています。
「確かに奇妙で怖ろしい話かもしれません。しかし解説がなければ、由来を見つけることは難しいことでしょう。体毛や乳首などがあるわけでもありません。本を子細に点検してようやく驚くべき結果に行き当たるのです」
本は、ライブラリーの「罪と罰」をテーマとした展示ブースで公開されています。
五木寛之の小説の中にあったような?
なんだっけ?
ーなんだ?
ー失楽園見てる?
ー見てねーよ!!!!!!
からだ辞典という本がとても分かりやすく面白く、愛読しています。
失楽園は見たことがありますが、元気がなくなる作品なので好みません。
ところで最近は、見たときって言う若い人が多いですね。
なんの影響でしょうね?
羊たちの沈黙とかででてきそーだ
匂いかいでみたり。
ナベジュンのは新聞小説だったですよね。
毎日2ちゃん某板で盛り上がってておもしろかった。ありえねーって感じで。
えーもう10年もたつの…?うわっ
この一文の意味がよく分からないのですがどういうことですか?
ちょっと詳しく説明お願いします。
リアル「ヒトカワの書」ですねー
写真でも見れて嬉しい
ここでご質問で返ってくることを不思議に感じておりますが、
事柄を言っているのか時間を言っているかの違いがあるのですが、
事柄を言うのではなく、なんでも時間で言う若い人が増えているということです。
鎌倉に行ったときない。
それは食べたときがない。
以前、会ったときありました? など。
何かの役に立つとは思えない。
罪人を晒すというわけでもない。
なんか違う。
ランプシェードや本のカバーを作りましたが、
それより古く前にも作られてたんですね。
ああ、そういうことですか。
『見る』という動詞のほうに意識がいっていたので
『とき』の話をしてるってことに気付きませんでした。
『過去に何かを見たとき』という表現におかしな点があるかな?と。
皮を加工するシーンもあったりして、ちょいグロ。
変な日本趣味とか、ありえない設定も必見です。
嫌な趣味してるわ
なんで見たのだろう・・
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