2009.04.28 (Tue)
豊作を祈って、孫娘の首を切断、抜いた血を種籾に混ぜこんだ男

豊作を祈って、孫娘の頭部を切断、抜きとった血を種もみにもみ込んでいた男が逮捕されました。
この男はインドはオリッサ州サンバルプルの村の住人、ラジェッシュ・ヘンブラム(52歳)で、日曜日、2人だけしか家にいないときを見計らい、孫娘のBernaka Kandulana(10歳)の首を斧で切断、血抜きをし、ボウルに溜めたその血液を種もみと混ぜ、鉄瓶におさめました。
インドでは、この日から種をまき始めると豊作になるという、Akshaya Tritiyaが27日にあたり、警察によると、男は孫娘の血をもみ込んだ種を月曜日からまく予定で、前々から計画を練っていたとのことです。
村人の通報により駆けつけた警察は、男を逮捕し、種のはいった鉄瓶を押収、男も犯行を認めました。地元の村人の話では、種もみに血を混ぜて豊作を願うという言い伝えは古くからあったものらしく、現在ほとんどの村人はこれを迷信としているそうですが、なかにはヘンブラムのようにいまだ固く信じている人間もいるということです。
子を養うための豊作を願ってだろうに、
本末転倒。
人を殺して豊作を期待とか本末転倒。外道の所業。
日本でも、死にたい(死刑)から殺人犯すって奴がいるけど、こういうやつらって、なんでそういう的外れなものの考え方するんだろうな
それが基地外ってことなのか
THE基地外だ。
あるときアッラーがイブラヒムに一番愛するものをアッラーのために生贄に捧げるように命じた。イブラヒムはアッラーに従い愛する自分の子供を生贄に捧げようとした。
聖書もコーランにも「神は人を試す・・・」
どうにかせんといかんかもね
つーか 豊作>孫の命 かよ
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090416_1500_farmers_mass_suicide/
彼らにとっての豊作は、私らには想像できないくらい大切なことなんだと思います。
孫の命で村が救えるなら、と・・・
つ~か、ほぼ間違いなく文盲なんだろうな。
彼の地じゃ珍しくないさ。
でも教育以前に「豊作>孫の命(VIPPERな名無しさん )」
この感覚なんだろうね。
この野郎達の信念を認めたら
「そして誰も居なくなった」
になるね
いやもちろん今時インドのさらに奥地でもそんな文化は途絶えてるだろうけど、たぶん日本人よりは近い位置に居るんだろう。
自分が食うために自分の孫やったのか
結局人間ってのは自分のことしか考えない
醜い生き物なのかもしれない
この爺さんが人身御供では、誰が種を蒔くんだ、誰が畑を耕すんだ…って話だし、
結果的に一番弱いもの(農耕の場で役に立たないもの)を殺すってコトなんだろうね。
あとは…そうやって淘汰させて行くコトで、一人でも食い扶持を減らす目的もあるのかも。
我々は食い物に困るようなコトはないから、餓える苦しみって判らないからなぁ…。
責められるべきは、教育や福祉が行き届かない状況なんじゃないかと思うなぁ…。
>人身御供とかそういう文化を知った上で言ってるのかなあ・・・
マテ、知っていたとしても孫を生贄なんて普通にキチガイだ
知識が無い、文化が育っていないなら何をしても良い、なんて事は無い
古代中東で崇拝されていた神。名は「王」を意味する。崇拝者たちは豊穣祈願のため、子供を生贄として捧げた。生贄として選ばれた子供たちは、燃え盛る炎の中にくべられるか、あるいは身を切りきざまれ、モロクに捧げられたという。
また、かつてローマと地中海の覇権を争ったカルタゴでも、モロクの名を見ることができる。カルタゴは主にユダヤ人と同じセム族に属するフェニキア人で構成された国で(のちに周辺に住んでいたリビア人も加わり、最終的にはフェニキア人とリビア人の混血民族となったと言われる)、その宗教はフェニキア人の伝統であるバールを崇める多神教であったという。カルタゴ人はバールを崇める方法のひとつとして、人身御供をおこなっており、その儀式のさいに捧げる生贄を「モロク」と呼んでいた。
カルタゴでも、生贄とされたのはやはり子供であった。しかも主としてモロクとなるのは男の第一子で、それは「自分のもっとも大切なものを神に捧げる」という意味があった。
儀式では両親が生贄となる子供をバール神の彫像の前に連れて行き、神官が子供の喉をかき切り、遺体を火に投じた。このような儀式は危機に直面したとき特に多くおこなわれたと見られており、紀元前310年のシラクサとの戦争のさなかには、実に200人もの子供がバール神への生贄として捧げられた。
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ネットで拾ったので正確な内容については不明、ポトラッチ的な考えならアリだと思うよ
信じる者は救われるかどうかは 神のみぞ知る。
3年ほど前、仕事中に従業員の女の子が発狂した。「何かがとりついている。」って連絡があったので 馬鹿らしいが祈禱師の資格を持ったイスラム教徒の従業員に連絡した。
お祓い後 彼女は落ち着いたが とりついてたやつは女子トイレに入ったらしい。 「どんな奴だ?」って聞くと 「首から上が無い男。」だった。 「私ひとりじゃ無理」っていうので もう一人資格を持った者を呼び出した。 で、来て直ぐそいつにも「何かいてるか?」って聞くと 「首が無い男がいる。」って答えた。
二人とも同じことを答えたのでビックリした。
(続きあるけど長くなるからやめとく。) (馬鹿らしいが一応実話です。)
それでも、・・わ・私は信じないぞ!。 少しおしっこちびったが・・・。
迷信としてでも伝承が残ってるって事は、
肥料とか農薬みたいな効果が多少はあるんでないの?
血液だし栄養価は高いでしょ。
なんで「神」なんて胡散臭いものを信じるのかねぇ
前々から練った計画が殺人... 虚しい計画だ...
豊作に繋がらず、警察に繋がったんじゃな...大凶作だろ
人身御供とかそういう文化を知った上で言ってるのかなあ・・・
知らんし、知りたくもねえ!
非人道的な行為を文化などとは、
人間のおろかな部分を具現化したに過ぎない。
犯人には極刑を!
が、ただあまりにも人間の歴史を知らなさ過ぎますね
肉命さんや歓喜天さんの主張に一票
でも自論だが、これは極致に追いやられ、手のつけようのなくなった人によるまやかしだと思う。
こんなことを神は望んでいるとは思いたくない、神は全ての人の幸せを望んでると信じていたいね。
殺されたお孫ちゃんにも幸せになる権利はあったはずだ。お爺さんには豊作よりも、本当の大切な恵みってのを反省してほしいな。
そういう迷信に囚われたことはなかったか?
これはその延長なんだよ。
文化といえば聞こえはいいが、
文化は尊敬できたり、尊重し合うに足りるものであって
こんなの文化とは呼べない
間違いなく「基地●」ですね。
勿論宗教的な事もあるでしょうが、それ以前に”子供の命”の価値が違うんだと思います。
かつて日本でも生贄的な儀式はありましたし、都市部から離れれば離れるほど
いまだに「子供は飯の種」的な事を言う老人も存在します。
文明の成熟度は国や場所、人によっても違いますので・・・(-_-;)
ただBERNAKAちゃんと同じ歳の子を持つ私には・・・ちょっと耐えられない事件(;_:)
馬鹿にしてるやつは家族が重大な危機に晒された時に祈らないのか?
親しい人が死んだとき、仏壇や墓にいって冥福を祈らないのか?
飢饉で自殺者が出たりするほど食に困ってるんだ。
人身御供にも縋りたくなるさ。
家族の大切さ云々って、この男だって他の大勢の家族の命を助けるためにって事もありえるだろ。
それとインドが未開だとか野蛮だとか基地外だとか言ってるやつって、100年前の白人と同じ思考回路な気がするが?
馬鹿にして下に見るだけで、教育の手助けしようとか、個人で無理なら国が援助してあげてとか思わないのか?
それともそういうコメントを書き込まないだけ?
マジに言いそうな気がしてきた
お前はどうなんだ?当然手助けしてるんだよな
ここで騒いでるだけなら誰でもできるぞ
って言って欲しいのかい?
他の大勢の家族の為だろうが、効果ないって分りきってる事で
更に人間を生贄だなんてやっちゃ駄目に決まってるだろが
>馬鹿にして下に見るだけで、教育の手助けしようとか、
>個人で無理なら国が援助してあげてとか思わないのか?
何を言っているんだお前は、まずはインドという国自体が変わらなきゃ
意味無いんだよそういうのは、日本が助けようなんてのはそれこそ
インドを馬鹿にしてるって話だ
てかさ
「村人の通報により駆けつけた警察は、男を逮捕し」とある
村人に通報され、警察に連れて行かれてる時点で
この国でもこの爺さんはただのキチガイ扱いだぞ
歴史がどうこう言ってる奴、インド舐め過ぎだろこれ
結構式や葬式では式が終わった後、みんなで食事をしますが、あれがそう。
大昔は、食事(殺すこと=野性への回帰宣言)のほうがメインだった、という説があります。今は逆になっていますが。
お供え物、はそのままですね。
やった男も、現代の法律によってそれを裁こうとする者も、ただ見守るしかないですね。我々には理解できなくても、この男がある種の規範によって行動した、とすれば。
信仰などの規範(人間より大いなるものの存在を潜在的に認める)によって行動する素地があれば、人命尊重など我々の世界の常識を共有してもらうことで「文化の違い」と容認できる人たちになる可能性もあります。
この点で規範の「ない」連中とは異質だと感じます。
> 馬鹿にしてるやつは家族が重大な危機に晒された時に祈らないのか?
> 親しい人が死んだとき、仏壇や墓にいって冥福を祈らないのか?
家族のことは大切に思っているが、実際家族が病気で死んでしまうってときも祈らなかったし、これからも祈ることはないだろう
神頼みなんて、したって意味ないって思ってるから
ちなみに、故人の冥福を祈り、先祖に感謝する墓参りやなんかと神頼みは全然違うぞ
誰かも書いているように、警察に逮捕されている時点で、「これは文化」という主張は通らない
ま、教育水準なんかの問題もあるだろうが、「前々から計画を練って」「2人だけしか家にいないときを見計らい」犯行に及んでるって時点で、本人にもそれが犯罪であるという意識はあったと思う
生け贄は当然っていうのが本当にその村の「文化」なら、こっそりやる必要なんてない訳だよ
>29233
先祖崇拝と神頼みを分けて考える気持ちはわかるが、神を信じなくて幽霊を信じる程度の違い。
諸アミニズムは自然回帰・万物に神が宿ると考える。
キリスト教は三位一体説より、神=キリスト=精霊等 と考える。
仏教は先祖に拝礼を重ねるごとにより高位の霊に昇格する。
そしておおよそ、多くの人に信仰されることが神の力になるといわれている。
そんなことはどうでもよかった。
要は得体の知れない事象についてどう取り組むか+人としてどう感じるのか
冥福を祈るというのであれば、その延長線上に信仰があり、神にもつながるんだけどなぁ。目に見えるものしか信じないなら別だけど(それも一種の宗教でしょうか)
こっそりやることについて:一般に認められていなかったのは事実なのかもしれない。今回の場合は極端かもしれないが、現在最も主流にあるものが「文化」でないことは感覚的に理解できると思われる。廃れた文化or現在の文化と共存できない文化とでも表現できます。
>29190
異文化理解で大事な事は「受容すること」・「相手の思考を慮り、文化の尊重をすること」。別にインドが日本人の文化とかけ離れている事を軽蔑しているわけではありません。
おちょくって基地外扱いしているのであれば無視すればいいだけだが、心底そう思ってるのであれば思考が停止してしまって勿体無いと思う。まぁ他人(他国)をさげすんで自分のアイデンティティにしようとするのは簡単だし、日常生活で困りもしないから陥りやすいのだけれど。
記事ちゃんと読んでる?
>現在ほとんどの村人はこれを迷信としている
こことか
雨が降らず、凶作に苦しむ貧民に、頼れるテクノロジーなどない。
村全体が飢餓等に見舞われるなら、可愛い親類の血による奇跡を信じたい。
かくなるうえは、孫娘を・・・
厳しい自然環境との共生を営む、信仰心の深い人間らしい行動だと思った。
この行動が老人一人によらず複数人同意のもとなら、事件にはならなかったはず。
欧米思考で「悪」を断ち、起こったことの背景を垣間見ることなく、ただただ一面的な視点で非難、拒絶し、常人じゃない行為は徹底して叩く、大多数の「文明」人。
こうして次々と伝統社会はかき消されていく・・・
現代「文明」の浸透力や、おそるべし・・・
インドの農民が追い詰められてる状況が少しは書いてあるから。
もちろん肯定はできないが、
否定しても代替案は出せない
「何もしないで死ね」って言ってるのと一緒。
”農業後進国”って皮肉る人のほうが理解しがたい。水産や農業は人の手や知恵だけではどうにもならない。インドと他国は気候も違えば、土や水も違うから。
殺される10歳の娘の側に立って考えてみろ。
殺されるそのときまで、家族に殺されるとは考えもしなかっただろが・・・
それとも、合意の上か?
宗教だろうがなんだろうが、個人の(時には集団)の思考(思想)を 他人(時には家族)におしつけるな。
自分または自分たちの中だけで、勝手にやってりゃいいんだ。
そんなことは、国が違おうが、宗教が違おうが、関係ない。
あったりまえのことだと思うが・・・違うか?
マジキチっていうか精神病院が逃げ出すレベル
その村では一番髭が濃い男の首をちょん切り、頭の血を畑にまいて豊作を祈っていた
それを知った役人が
・赴任時「えらいことしとるな」
・1年後「頭だけでなくて体の血も撒けよ」 =>村人は従った
・2年後「なるほど豊作じゃ、 ところで一遍北京近郊の見学に行こう」 =>村人は従って見学に同行
北京近郊の畑が村以上に豊作なのを見て
村人「いったい何人の血を撒いたんだ?」
その後、北京近郊では血を撒いていないことが判り、
農業技術指導を受けて村に帰り、
人柱の風習は無くなったそうだ。
↑と言う話を中学の社会の先生から聞いた事がある。ホントかウソかは知らん
口減らししたかったてのもあるんだろう、
というより、口減らしが大きな理由だろ絶対。
もう慣習なんだろなー
歴史とか上げてるやつはインドを見下しすぎ

周囲の人たちが通報した、ということは
不要な迷信に囚われることのない世の中にいずれなるだろうと思えますが…
殺害された子どもが痛みや恐怖を味わわなかったことをただ願います。
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