2009.02.26 (Thu)
4年前のオスカー受賞作「Born Into Brothels」で主演した少女が売春婦に
A.R.ラフマーン(A.R. Rahman)がロサンゼルスのコダックシアターで金色のオスカー像を授与されたとき、彼女の印象的な瞳は涙でかすんだことでしょう。いまから4年前、2005年の2月に彼女、プリーティ・マッカジー(Preeti Mukherjee)はディレクターのザナ・ブリスキ(Zana Brinski)とともにたしかにあの場にいたのです。
第78回アカデミー賞で最優秀ドキュメンタリーに選ばれた「Born Into Brothels(売春窟に生まれついて)」に主演した少女たちのひとり、プリーティ・マッカジー(Preeti Mukherjee)が、オスカー受賞後1年にしてもとの売春宿に舞いもどっていたことがわかりました。
オスカー以外に世界各国で30以上の賞をうけ喝采された少女たちは、ディレクターの英女性写真家、ザナから多額の小切手をわたされ、ある者は結婚し、またある者はニューヨークの大学に通うなど成功をつかみかけています。
しかし、ひとり故郷の高校にもどったプリーティだけは、ザナからのたびたびの申し入れにもかかわらず、小切手をうけとった母親が離さなかったといいます。
「あたしは一人っ子だったし、ママが行かせてくれなかったの。そうね、家族からの強迫と呼びたいなら呼んでもいいわ。ふふ。実際単純なことなのよ。で、結果、あなたはここにいるあたしを見つけたってワケ」
現在、コルカタの売春宿「sonagachi」で客をとっているプリーティは、吐息にアルコールとタバコの匂いを混じらせてこう語り、うすく笑いながら肩をすくませました。
コルカタでも高級住宅地といわれるソルトレークにフラットを所有するプリーティは、彼女いわく「この年でこれだけ持ってるのよ」との言葉どおり、インドではサクセスストーリーをなし得たのかもしれません。
フラットにはコンピュータもあり、ザナとはいまでもメールのやりとりをしているといいます。また彼女を手放さなかったやはり売春婦だった母親のラキ(Rakhi)は別の建物に住み、プリーティはその生活費をも払っているのだそうです。
「sonagachi」の彼女の部屋の壁には、オスカー像を手にした彼女の色褪せた写真が貼ってありました。ふたたび目に涙を惨ませてプリーティは呟きました。
「いまあるのはこれだけよ…」
※映画「Born Into Brothels」ですが、日本では興行収入が見込めないとの理由でずっと公開されてませんでしたが、昨年末よりようやく「未来を写した子どもたち」として、細々とですが全国で観られるようになりました。
うまくコメントができない
>「Born Into Brothels(売春窟に生まれついて)」
そんまんまに逆戻りですか。
子供は親を選べないからなぁ ・・・。 不憫ですね。
貧困の問題もあったでしょうが、クズ親に生まれたのが一番不幸だったのかもしれません。
情ゆえに不幸になるケースにはいたたまれないものがあります
それしか思い浮かばない・・・
良いじゃないのか?これも人生。
急にニューヨークの高層マンションに住んで事業を起こそうとか、
地中海で家を買って毎日クルーザーに乗って暮らしたいとか
世界中を旅して回りたいとか思うわけでもない。
今よりはちょっと働かなくなるかもしれないが、
いつも通り木造平屋の畳の上に敷いた布団の中で目が覚めて、ワイドショー見ながら飯食って、
PC開いてHEAVENとかをネットで眺めたりゲームやったり本読んだり、
そして飯食って風呂入って布団で寝るんだ。
それが一番落ち着く家だから。
彼女にとっては、売春窟がそういう「家」だったってだけなんじゃねえかな。
ヨウツベで確認
わかりにくい本文だが、おそらく読解ミス。
小切手をうけとったのが母親か彼女本人かどうかに関係なく、
「大金を手にしても、生活スタイルを変えなかった」という文意なのでしょう、20610さんのように。
これが共依存というもの?
こうあったから小切手を彼女が自分で管理若しくは信頼できる代理人をザナに紹介してもらえれば別の生き方が出来たかもしれないと思ったのでコメントしたがそういう考え方もあるか
>オスカー像を手にした彼女の色褪せた写真が貼ってありました。ふたたび目に涙を惨ませてプリーティは呟きました。
「いまあるのはこれだけよ…」
しかしこの文を読むと・・・う~ん
ちょっと女の子の顔が思い出せませんが、写真家の人が凄い努力をして
やっとこさ学校に突っ込んだのに、みんな家族の反対とか色々あってハラハラしました。
あの最後まで駄々こねてた、一番才能のありそうなデブな男の子はどうなったんだろう・・。
映画凄く良かったです。見て欲しいです。
せつないやね…
いくら子供が育つにはあまりに劣悪な環境であり、人権侵害が行われてたとしても、それはインドでは普通のこと。
白人が貧民街に乗り込み、沢山いる数え切れない子供たちのなかから数人だけ子選んで、支援をし、起伏にとんだスドキュメンタリーを撮った、と。
助けられた子はラッキーでもそれ以外は?と複雑な思いに自分になったことを思います。
でも、数年経ってみると状況も違うんですね。
成功した子供たちはそれを離さないでいてほしいけど、まさか売春婦になっていたなんて・・・。
プリーティにとって、あの時の出会いや、オスカー像を持つ自分というのは、なかったほうが逆に幸せだったのかな。
色々考えてしまいます。
同感。
ニューヨークの大学に行った子や結婚した子のほうが幸せになるとは限らんしな。
我らの人生とてこれからどうなることか。
死ぬまで分からない。
コメントを投稿する