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2007.10.11 (Thu)

1300頭の虎を飼う男。億万長者から債務者への転落人生

71011e.jpg

CFP
総数1300頭という膨大な数の虎の群れ。その眺めは想像するだけで、いや画像がなければ想像することさえ難しいかもしれません。しかしながら広西壮族自治区の桂林市の山荘で、この1300頭の虎を飼っている男性がいます。

男性の名前は周偉森。「養虎大王」と異名をとる彼ですが、スタッフの前で見せる自信に充ちた笑顔と裏腹に、眠りに就くときには毎晩睡眠薬が欠かせません。彼はこれまでに睡眠薬をおよそ10キロほども服用したと自嘲します。

1300頭の虎が飼われているのは2000畝(約133ヘクタール)というこれまた膨大な敷地面積の熊虎山荘。ここに東北虎、華南虎、ベンガルトラなど数種の虎が棲息しているのですが、「一山不容二虎」の諺からいえば、虎自身も相当窮屈な暮らしを強いられてるといわねばなりません。

1962年、広西壮族自治区平南県で生まれた周偉森はごく普通の農村家庭の子供でした。幼い頃から動物が好きで、捕まえた蛇や猿などを飼っていたという周少年は、資質もあったのでしょう、小動物の飼育や繁殖にかけてはその名を遠くまで知られる青年に成長しました。
おりしも1988年、中国で「野生動物保護法」が施行され、保護動物の繁殖が公的に奨励されるようになると、彼の目はこの保護動物の行く末に向けられます。一年後に各地の動物園から12頭の虎を引き取った周偉森は、さっそくこの虎の飼育と繁殖に取りかかりはじめました。

71011f.jpg周偉森はもちろん虎を熱愛しています。しかしながら飼育を始めたのは、漢方薬の原料となる貴重な虎骨が得られるということがまず第一にありました。彼は事業として虎の繁殖を始めたのです。
虎を飼うにあたって最初の悩みは食費でした。3歳の虎は一日8キロの肉を食べます。単純に計算して一頭の虎にかかる食費は一年で4、5万元。12頭いれば60万元もの大金を必要とするのです。

しかしここで幸運が訪れました。たまたま二人の叔父が海外から帰国。ともに資産家の二人は周偉森に桂林市でホテルを経営することを条件にその莫大な資産を分与すると告げたのです。
数億という金を得、勢いにのる周偉森は、本格的に虎の繁殖に乗りだし、31歳のときには広西壮族自治区の林業庁に申請を出して、絶滅に瀕した動物の研究機関を立ち上げるまでに至りました。また現在の山荘に虎を移し、ツキノワグマやライオンなどの繁殖も始めました。

飛ぶ鳥を落とす勢いだった周偉森に凋落が訪れたのは1993年のことでした。国務院が「關於禁止犀牛角和虎骨貿易的通知」、つまりは虎骨を漢方薬の原料とするために交易することを禁じたのです。すでに171頭にまで膨らんでいた虎は、資産としては利用価値がなくなり、その食費だけが彼の肩に一気にのし掛かってきました。

虎の雌は一年に15頭の子を産みます。周偉森はやむを得ず林業庁に華南虎を放すことを申し入れました。しかし林業庁の答はノー。法律で死んだ虎を売ることも出来ず、進退窮まった周偉森は、山荘と同時に経営していた企業グループを売りに出します。
足許をみられて買いたたかれ、手にしたお金は1150万元。しめて数億の投資ではじめた「事業」は、1日に2、3万元ずつ消費していく大きな胃袋にその形を変えました。

窮した周偉森は国の林業部に山荘ごとの接収を願い出ます。しかし国も彼を拒絶しました。膨大な食費ゆえに厄介者扱いされる彼と虎。それでも一時金として700数万元という補助を手にした周偉森は、興行や動物園への虎のレンタル、それに自身の熊虎荘への観光客の誘致を積極的に勧めることで危機を乗り越えようとしましたが、2003年のSARSの流行が影響し、客が激減。ついに銀行から金を借り、債務者へと落ちぶれました。

2007年の現在、中国の野生の虎はわずかに300頭、それに引き替え人的に飼育されている虎は3000頭といわれています。周偉森はその半分の1300頭をいまでも飼い続けています。彼はせめて死んだ虎からはその虎骨などが有効利用出来るようにと、法改正されることを心待ちにしています。

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