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2007.10.09 (Tue)

1950年代、中国国内で初めて分離手術が施された結合双生児

71009a.jpg江南都市報
画像は前世紀の50年代、70歳のときに中国国内で初めて分離手術が施された結合双生児、劉聖堤、劉聖階の兄弟です。

現在の中国では、結合双生児の分離手術は年間十例近くが行われ、それほど珍しいニュースでもなくなりましたが、その始まりは大変に難度の高い手術でした。二人が死去してから半世紀あまり過ぎた今、手術を行った北京協和医院のカルテから当時の様相を伺います。

二人が居住していたのは、江西省南康市石排上村。市街区から10キロほど離れたこの村にあって、民小組に束ねられた村民は400名ほどでした。
1887年に生まれた劉兄弟は、胸部側面が連なった状態でこの世に生を受けました。家は貧しく、また当時の産院でも分離手術を施せなかったのでしょう。連なったままの兄弟に母親は、胸の結合部を紐でくくって分離させようと試みたこともあったといいます。しかしその願いは叶わず、両手両足、頭部、そして心臓など器官もそれぞれにある兄弟は、肋骨の一部を共有させた姿ですくすくと成長しました。

当時にすれば、二人は見世物として生活するより他はありませんでした。しかし二人はこうした「芸人」としては、成功した方の部類でした。
幼い頃から南康市の街頭で父親に連れられ、人目をひいて小金を稼いでいた兄弟は、9歳のときに上海の興行会社の紹介で渡米し、その後イギリス、ドイツ、イタリアなどを転々とし、1903年に帰国するまでにかなりのお金を得ていたようです。25畝(約1.66ヘクタール)ほどの肥沃な田畑と13部屋、二棟の家を購入するまでになりました。
その後日中戦争時にには農業に従事、あとは都市部に出て再び見世物として収入を得る二人は、1906年には兄弟そろって同日に結婚してもいます。

1956年12月24日、肺結核を患った劉聖堤が危篤状態となり、北京協和医院が二人を受け入れました。中国医学史上初めて行われた結合双生児の分離手術は二人が70歳という高齢のため、また劉聖堤の病状のため難を極め、分離後4時間で劉聖堤が死去という結果となりました。しかし劉聖階はその後も十年生き、1966年、齢80歳近くになるまで健康でした。

一人が酒を飲めば共に酔い、一人が病に罹れば共にやつれたという二人は、仲もよく、人生の喜怒哀楽を分かちあいました。
歩くのはとても速く、並んで丸木橋を渡ることが出来たという二人。また小さい頃には村の子供たちに嘲笑を受けても四本の手と四本の足で対抗し、ケンカに負けたことはなかったという二人は、大人になってからは、一人が鉄砲を構えて一人が火をつけて猟をするなど上手に役割を分担して暮らしていたことが、当時を知る人々の口の端にのぼります。
それぞれの子供は今では成長し、二人のあとを継いで田畑を耕し、また北京市内で働いているそうです。

Tags : 結合双生児 |

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