2007.09.29 (Sat)

この世の地獄――河南省沈丘県「癌症村」(2)

70929f.jpg

かつてのこの村にも活気があったことを子清は思い出す。
東西に1キロ、南北に500メートルの東孫樓村は、自給自足でこと足り、のどかな空気がただよっていた。農繁期には村人が朝早くから精を出し、収穫の歓びは秋の影足長い日差しにも灯りとともに村を照らし、余裕があれば服を買ったり、電化製品を購入したりして貧しいながらも人々のたしかに生きている証があったのだ。それが病魔にとりつかれてからは、まるで村自体が病気に伏しているかのように活気がない。
ぽつぽつと降りはじめた雨が子清の足許にぬかるみを拵える。子清の家までのわずか100メートルの小路。かつてここには16軒の家があった。昨年まで3軒残ったうちの2軒は今年にはいって家族全員が死に絶え、残る1軒は村を出ていった。

癌に冒された村人は、その数の多さから抗生物質もなかなか手にはいらない。厚い掛け布団のなかで呻きながら、放射線治療によって抜け落ちた髪はまばら。布団の外に伸ばされた手足は痩せおとろえ、光のない瞳が哀しい表情を貼りつけたままの顔に浮かんでいる。部屋にはまだひかりが充ちていた頃に買った21インチのカラーテレビが、黄色みを増した画面に都市部の繁栄を映し出している。

貧しさは人身をも歪ませ、村人のあいだで盗みがはびこり、気力のおとろえた人々は逆に家の塀を自ら打ち壊しはじめた。村には教会が建てられ生の根源への疑問を持ちはじめた人々は、最後の望みをイエスに託そうと帰依しだした。いま残っている村人は軍隊の入隊検査にさえ合格し得ないだろう。
人活得都沒有希望了。ひと生きて望みはなし。降り出した秋の雨はいつまでもやむ気配はない。

50年代、村に活気があった頃、人々は村の隅々までまんべんなく潤うよう精緻な用水路を拵えた。主流から分水して支路を幾重にも巡らし、そのまま手ですくって飲めるほど清らかだった水は、80年代の末から工業廃水によって濁りはじめ、まずは藻や浮き草などの生命を奪い、次いで人間の命を奪いはじめた。

沈丘県水文站の調べでは、1990年、1994年、2000年の水質検査で「劣5類」という結果が出ている。これは用水としての機能をもはや失い、システムそのものの破壊に至っているという恐るべきもので、一例をあげれば米国環境保護庁(EPA)が指定する「コントロールすべき汚染物質」129種のうち、この地区の浄水場源では95種を検出。そのなかには発ガン物質が67種含まれている。
井戸水は20メートルの深さではすでに汚染されて使えず、やかんで沸騰させても表面に厚く垢が浮き、たとえ無理に飲んだとしても渋く、喉にしびれを感じるほどだという。
こうした状況のなかで、沈丘県の疾病コントロールセンターでは2005年になって、淮河流域の村で癌が高い発症率を示していることに初めて水質との因果関係を認めている。

子清は次こそは自分の番だと思っている。数年前に5000元かけて胃の手術をした彼の体には幸い癌は発見されなかった。
燃え尽きそうなタバコから新しいタバコに火を移した子清は、深々と吸い込み、紫煙を吐いた。

strange | EDIT


 | HOME |