2006.05.30 (Tue)
Suicide note――遺書
やはり中年を過ぎたあたりの男性がいちばん多く、あとはさまざまですが、読んでみると死に行く人たちがこの世に残す最後の手紙はどれも愛にあふれていることがわかります。 なぜこうも澄みきった心で愛を語れる人ならば、その愛が生前伝わらなかったのかと他人事ながら忸怩たる思いがしますが、それはどこかでボタンを掛け違えてしまったのかもしれません。
でも、どうして意図しなかったにせよ、死ぬほどまでに追い込んだ周りの人々に、今更ながらに柔和に愛を語るのでしょうね。
ひとつだけ。 こちらは彼女を殺害した後で後追い自殺をした35歳の男性の遺書。 すさまじいばかりの自己中ですが、死に向かう激情をいちばん正直に語っているような気がしたり。
愛するキミを失い、もはや生きることにも疲れた。
ボクはキミを愛し、全てを捧げた。 キミに夢中だったんだ。 確かにキミのことになると周りが何も見えなくなるのはボクの欠点かもしれない。 でもキミはボクに対してあんまりに冷淡だった。
ボクはキミとの付き合いをもっと楽しく、愛のあふれたものにしようと必死だったんだ。 でもキミはボクのことなんてちっとも気に掛けてくれなかった。
キミはボク抜きで勝手に旅行の計画を立てたりして、ボクの意見なんか全然聞いちゃくれなかった。 揉めた時にはいつだって、ボクのことを子供扱いしたキミ。 それじゃ上手くいく筈ないよね。 キミと結婚できるどころか、キミの男としても認めてもらえなかったボク。 それでもどんなにかキミのことを愛していたんだ。 キミなしで生きていけるもんか。
これがいちばんいい解決方法だったのさ。 正直にいえば、これ以上傷つきたくなかったんだ。 いま思うと、ボクはキミにとって安全牌だったのかもしれないね。 キミに呼ばれれば、何をおいても駆けつけてきたんだもの。 でも、きっとツケが溜まったんだよ。 きっとキミは清算するときが来たんだよ。
さようなら。 もし死んでも人を愛することができるのなら、ボクはずっとキミのことを愛し続けるよ。 神さまに慈悲をお願いしようね。 ずっと、ボクの傷心や悲しみ、それにキミへの深い愛を見守ってくれてきた筈の神さまに。