2007.08.20 (Mon)
ネトゲで自キャラを殺されたことに腹をたて、現実に相手を殺害した男

オンラインゲームで自分のキャラが何度も殺害されたのに腹を立て、IPから相手の居場所を割り出し、現実に殺害してしまった事件の一審判決で、武漢市中級法院は殺害に加わった男5人に対し、最高で懲役15年の刑をいいわたしました。
「伝奇事件」と称されたこの事件は、2005年1月に起こったもので、当時漢口のネットカフェで、人気オンラインゲームの「伝奇」をプレイしていた余(現在逃走中)は、「我是誰」のハンドルをもつ相手のキャラと一騎打ちをし、敗れて殺されたことからはじまりました。
余は明くる日、また別のキャラで「伝奇」にアクセスしましたが、ふたたび「我是誰」のキャラと遭遇。再度の果たし合いの結果、瞬殺。
これに頭にきたのか、余はIPをたどって、「我是誰」が漢口礼門のネットカフェからアクセスしていると推測。翌日午前1時、仲間10人を連れ当のネットカフェに訪れたところ、偶然にも目の前で「伝奇」をプレイしていた李さんが「我是誰」のハンドルを使っていたところから、見つけたとばかりに殴りかかりました。

事件に関わった余とその仲間11名のうち、逮捕されたのは5名。余を含む残る6名は現在も逃走中ですが、この逮捕された陳以下5名に対して武漢市中級法院は、3年から15年の懲役をいいわたしました。また李さんの家族には15万元の慰謝料を払うよう命じています。
警察の調べによると、余は26歳の漢川籍。「伝奇」にハマってからは数ヶ月の間、ネットカフェに昼夜を問わず通い続け、自分のキャラを「60級」まで成長させていたといいます。
武漢に来た当初はアルバイトなどで生活をしていましたが、やがて髮廊(ヘアーサロン―風俗床屋)の地回りなどで金を得、過去に数度、告発を受けていました。
2007.08.15 (Wed)
14年間で52名を殺害した連続殺人犯、ピチュシキンの予審はじまる

被害者をチェスの盤目にたとえて、63人を殺害したと吹聴する大量殺害犯、アレクサンドル・ピチュシキン(Alexander Pichushkin)容疑者の一連の犯行のうち、52名の殺害容疑について、13日モスクワの裁判所で予備審問がひらかれました。本法廷は9月13日より開始される見通しです。
チェックのシャツを着、なかば表情を強ばらせたピチュシキン容疑者は腕組みをしたり解いたりしながら、落ち着かない様子で法廷での審問に答えました。
一連の殺害は1992年から2006年までの14年間におこなわれたものとされ、昨年6月に逮捕されて以来、個々について裏付け捜査がなされてきましたが、そのうち立件されたのは52名です。
アレクサンドル・ピチュシキンは、モスクワにあるスーパーの店員で現在33歳。殺害は1992年に学友を殺して以来続けられていました。その多くは孤独な老人を狙ったもので、公園で酒を勧めては森の奥で杯を交わし、相手が酔ったところで金槌や酒瓶などで後頭部を殴打。殺害にいたったものとされています。
被害者が身寄りや縁故のない老人が主だったために、事件や行方不明の届出などが少なく、それが犯人の逮捕を遅らせた因となりました。
ピチュシキンは、殺害をゲームに喩え、一人殺すたびにチェスの盤目に印をつけ、大量殺人のギネス記録を狙ったなどとうそぶく一方で、現実にロシアの大量殺人犯、1994年2月14日に銃殺刑に処された、推定52名殺害のアンドレイ・チカチーロの記録を意識していたことも伺わせました。
「人を殺さずにはいられなかった。殺人というのは僕のなかでは「食いもの」と同じ。なくてはならないものだった。年寄りばかりを狙ったのは、早いとこ極楽往生させてやりたかっただけさ」
こう語るピチュシキンは、生まれた時に父はなく、母親もピチュシキンを産んで間もなく収容所送り。祖母に育てられたピチュシキンは、その祖母が亡くなってから自らの運命と世に恨みを抱いたといいます。
一匹の犬を連れ、よく公園を散歩し、その犬が死んでから骨を公園に埋めたピチュシキンは、この犬の墓のまわりで多数の老人を殺害したとされていますが、遺体そのものはまだ三分の一も見つかっていません。
ピチュシキン逮捕のきっかけとなったのは、同僚の女性マリーナを殺害後、遺体が公園で発見され、警察がマリーナ宅を捜索。ピチュシキンの名を記したメモが見つかったことで、殺害二日後の2006年6月16日に自宅で逮捕されました。
2007.07.03 (Tue)
岡惚れした親友の母親をメッタ刺し。その後遺体と交わった23歳の男

親友の母親に岡惚れし、酔って寝室に忍び込んだところで気づかれ殺害、その死体と交わった男が逮捕されました。
警察に通報がはいったのは先月28日の夜です。
黒竜江省哈爾濱(ハルビン)市道外区孝純街のアパート八階で、女性が殺害されたとの通報をうけた警察は、警官を現場に急行させました。
殺害された女性はベッドの上に全裸で横たわっており、上半身を中心に40箇所を刃物で刺され、寝室内は多量の血痕。暴行された形跡があり、また室内にあった金品は持ち去られていました。死亡推定時刻は26日の午前零時頃。女性の名は陸華(50歳)で、通報したのは被害者の息子でした。
道外警察ではただちに、6・28事案捜査本部をたちあげ、捜査にあたりました。
現場検証でわかったことは、部屋の鍵をこじあけた形跡はないこと、40箇所の刺し傷のなかにいくつもの致命傷があったことから、容疑者が冷静を欠いていたこと、また多少なりとも証拠隠滅をはかろうとしたことなどでした。
これらのことから真っ先に疑われたのは被害者の前夫でしたが、1995年に離婚した前夫は年明けに陝西省に帰っており、犯行は不可能。
ここで警察は息子の口から重要な手がかりを得ました。たびたび家に遊びにきている親友の楊徳生(23歳)が部屋の内情についてよく知っており、被害者が殺害された26日にも、家を訪ねる旨、電話がかかってきていたのです。息子は用があってこのときには断っていました。
しらべたところ、両親といっしょに暮らしていた楊徳生は、事件発生と同時に姿を消していたことがわかりました。翌27日には両親のもとに、逃亡先のモンゴル自治区ホロンバイルの牙克石市から「人を殺した」と連絡があったといいます。その後行方をつかんだ警察は、同じくホロンバイルの海拉爾(ハイラル)から哈爾濱にもどろうとしていた楊徳生を、1日、列車内で逮捕しました。
供述によると、楊徳生は17歳の頃から親友の母親、陸花さんを思っていたそうです。しかしさすがに告白する勇気はなかったのでしょう。悶々と思いは募るだけ。
この日も彼女を思い描いてはビールを何本か飲み、ついには抑えがきかなくなって屋上から八階のベランダに侵入。台所の窓をあけて忍び込み、熟睡していた陸花さんのベッドに潜り込んで、陸華さんに抱きつきました。しかし陸華さんがおどろいて目を醒ましたところで怖くなったのか、台所から持ち出した包丁で彼女を殺害。その亡骸と交わったということです。

26年間、実の母親と近親相姦し続けた男が、その母を殺害