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2007.07.24 (Tue)

10件現代真実人肉包子鋪案例(3)

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四件目。時代はすこし遡って六十年代の天津。経済も低調で、肉や卵といった毎日の暮らしに直結する品々がまず庶民の消費の対象だった時代です。

ここ天津で肉まんを売る王さんの店にはいつも人々が行列を作っていました。そろそろ40歳を迎えんとする王さんは今が働き盛り。体つきは逞しく、それでいて人当たりはやわらかく、商売も客が子供や老人相手のときでもぼることはなく、まめで正直者だと評判でした。また独り身なのは、王さんいわく前妻が貧乏を嫌い男をつくって駆け落ちしたからだとのことでした。

肝心の肉まんの味はというと、これも汁に華やぎを感じさせるもので、遠くから王さんの店に肉まんを買い求めにくる客が多いのも頷けます。王さんは早朝4時には仕込みに入り、6時にはもう肉まんを篭いっぱいに盛って店先に並べました。風雨不改、寒暑不断―雨風に関わりなく、暑い日も寒い日も変わりなく、売れ行きがいいからといって手伝いを雇うわけでもなく、ただひたすらに毎日500個の肉まんを作って売る姿には、商売人というより職人を感じさせる王さんでした。
肉まんを求める客は6時前にはすでに行列をなし、8時半にはもう売り切れるといった案配。王さんの店には同じく肉まんを扱う同業者も多く訪れましたが、どうしたところで同じ味を再現させることは出来ません。王さんの作る肉まんは唯一にして無二。王さんの店でしか求めることは出来なかったのです。

さて、王さんが天津で店を出してから一年が過ぎた頃、子連れの女性が王さんの店を訪れました。女性はまだ湯気のたつ買ったばかりの肉まんを子供に与えます。しかしその肉まんを口いっぱいに頬張った子供は顔を顰めると路上に具を吐き出しました。
子供を窘めた女性は吐いた具をあらためます。白く固いものが指先に触れました。豚の骨? 同業ならずとも同じく商売を営んでいたという女性は、王さんの店のあまりの流行りように嫉妬を感じていたのかもしれません。女性はこの白い欠片を手に当局に通報しました。

当初豚の骨と思われた欠片は、当局の分析で驚くべき結果が示されました。人間の爪だったのです。当局はこれを王さん自身の爪だと判断、衛生的な見地より王さんの店に注意を促そうと局員を遣わします。
局員が訪れたとき、王さんは不在でした。鑑査目的で訪れた局員は手ぶらで帰ることも出来ず、店の調理場に入り、奥の穴蔵をあらためたその時です。
局員の目に映ったのは分断された死体と挽かれて緋色の縞の塊となった人肉でした。そこに居あわせた局員は残らず、胃の中のものをすべて吐ききるまで動けなかったといいます。

逮捕された王さんは、さして動揺する様子も見せずに淡々と語りはじめました。
あの日、男と逃げた前妻に沸々と煮えたぎるような憤りが天津で店を構えるようになっても止むことはなく、一年ほど前に物乞いに家を訪れた女の乞食にふと前妻の面影をみた王さんは、その場で女を殺害しました。
王さんいわく女を殺して憐れみを感じるというより、積年の恨みを解き放った歓びのほうが勝ったそうです。しかし残されたのは死体の片づけ。当時良質な豚肉を手に入れるのに苦労していたという王さんは、女の死体から肉を得ることを当たり前のように思いつきます。
人肉特有の臭みを消せば、あとは調理には豚肉も人肉も変わらなかったと語る王さんは、それからは物乞いを家に招いては殺害し、具材を得る毎日だったといいます。一年間で殺害されたのは男性3名、女性3名、7、8歳くらいの幼児1名の計7名に及びました。
すべてを語った王さんは銃殺刑に処せられ、家や店は没収されましたが、粛正の六十年代ゆえ、庶民への影響を怖れたことから事件は表沙汰にはならず、警察内部だけで処理されました。周囲に対しては王さんが盗みの罪で投獄されたと伝えられたそうです。

Tags : 人肉包子 | カニバリズム | 猟奇 |

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2007.07.23 (Mon)

10件現代真実人肉包子鋪案例(2)

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三件目。これは映画「八仙飯店之人肉叉燒包(日本では「八仙飯店之人肉饅頭」)」のもととなった事件です。
夏真っ盛りの1985年8月8日、澳門(マカオ)は路環島の黒沙湾で泳いでいた海水浴客が、切断された人間の四肢を見つけたことからことは始まります。通報を受けた警察ではただちに打撈隊を編成、その日のうちに8件、数日内に都合11件のバラバラになった手足を見つけました。切断面から手足は鋭利な刃物で断ち切られたものであることがわかりましたが、それ以外に手がかりはなく、捜査は暗礁に乗り上げます。

翌年4月、警察のもとに一通の手紙が届きました。澳門にある八仙飯店の元経営者と名乗る鄭林という男からの手紙でした。その内容は、昨年8月より八仙飯店を共同経営していた長兄一家の姿が見当たらない、八仙飯店は現在、黄という男になかば乗っ取られているかたちだが、この黄という男が事件になにかしら関わっているような気がしてならない。調べてはもらえないだろうかというもの。
手紙を受けて行方不明者をあたりはじめた警察では、昨年の黒沙湾であがった切断された手足の指紋を調べ、なかに八仙飯店で働いていた従業員女性のものと思われる腕があることがわかりました。
警察は八仙飯店の新当主、黄志恆(50歳)の監視と内偵を開始します。

捜査の結果、八仙飯店の行方不明者は10名にのぼることが判明しました。内訳は前当主の鄭林(50歳)、その妻岑恵計(42歳)、娘の鄭宝瓊(18歳)、鄭宝紅(12歳)、鄭宝?(10歳)、鄭宝華(9歳)、息子の鄭観徳(7歳)、岑恵計の母の陳麗容(70歳)、親族の陳珍(60歳)、それと飯店の料理長を務めていた鄭柏良(61歳)の10名です。
このうちまずは、見つかった腕と照合した指紋が一致した陳珍殺害容疑で起訴された黄志恆は、家宅捜査で発見された鄭林の回港証(マカオ再入国許可証)や子女の学生証など家族名義の身分証を隠匿していた理由を問われて答えられず、自ら罪を認めるかたちとなり収監されました。

しかし捜査過程でわかったことはもうひとつ驚くべき案件でした。
男の黄志恆というのは実は偽名。1973年に香港の魚涌英皇道で起こった殺害放火事件の容疑者だったのです。この案件で男は金に困って被害者夫婦を風呂桶で溺死させるなどし殺害。家に火を放ちました。
男の本名は陳梓梁というもので、この事件の後に潜伏。指を火で炙り、指紋を消して身分を消し、マカオには密入国し黄志恆名義の身分証をねつ造していたのです。

こうして二つの凶悪な事件に関わった男は獄中の身となりましたが、残る殺害について審問が続けられている最中の1986年12月4日、牢獄で手首を噛み切って自殺しました。
11件見つかった手足は1件を除いて誰のものか特定はできず、肝心の胴体部分など10名分の遺体は最後まで発見されなかったことから、この事件は謎を呼び、肉をミンチにして飯店で賄ったという噂が飛び、映画のもととなった次第です。

Tags : 人肉包子 | カニバリズム | 猟奇 |

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2007.07.23 (Mon)

10件現代真実人肉包子鋪案例(1)

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さて、ウチのようなサイトでは遅からず取りあげなければいけないでしょうから、この梅雨明けぬ鬱陶しい晩の暑気払いとして、中国の「人肉包子事件」をエントリーしましょうか。
元記事は、中国ならどこのメディアでも過去いちどは取りあげたことがあるでしょう、「10件現代真実人肉包子鋪案例」。このうちの一つのエピソードが返還前の香港映画、「八仙飯店之人肉叉燒包(日本では「八仙飯店之人肉饅頭」)」で描かれています。

原文はかなりの長文ですので分載にします。すべてお伝えできるかどうかは未定とさせてください。まずはその一件目です。



ときは八十年代初め、北京の西単で起こった人肉包子事件はセンセーショナルな猟奇殺人として大きな話題となりました。
事件の発端は中華まん店の主人が一人の客と諍いになり、その場で客を殺害したものです。ここで死体の処理に困った店の主人は死体の肉を挽き、中華まんの具として外売りに出しました。
結果、客の評判は上々。これが広まって店は忙しくなりました。恐々としていた店の主人でしたが、客が増えることによって肝が据わり、次々と殺人をかさねていくことになります。殺されたなかにはわざわざ地方から肉まんを食べに出てきた夫婦の姿もあったといいます。
肉の味に疑問をもったのはこの肉まんを食べた医師だったといわれていますが、ともあれ警察に通報がいき、公安がこの店を調べた結果、冷蔵庫から人間の大腿部が見つかりました。



二件目。こちらもやはり八十年代。事件は内モンゴル自治区赤峰市で起こりました。
この地に働きに出てきた女性がある日、交通事故で亡くなり、報せをうけた両親が娘の遺体をひきとるために田舎から出てきました。これからだというのに。悲嘆に暮れた母親が火葬に付される前の娘の遺体にとりすがります。しかし下肢の手触りが妙。被せられた布をめくってみると足が一本しかないことに気がつきました。

通報をうけた警察が真っ先に疑ったのは、この火葬場に勤める李なる男。後の供述により、事件の全貌が解明されました。
男の兄は赤峰市で肉まん店を経営していたのですが、当時は計画経済の由、豚肉も券による配給制。具材の不足から火葬場に勤めていた男が火葬前の遺体を切り分け、家にもち帰っていたのです。
こうした犯行は七年にもおよび、兄の店はその味のよさから評判が立ち、肉まんは「老子號」なるブランドで赤峰市の内外にわたって有名だったといいます。事件が世に知れて、赤峰市では悪心を訴える男女が相次いだといわれています。

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