2008.01.08 (Tue)
鍋のなかには茹だった耳、傍にはフォークの突き刺さった人肉

付き合っていた女性の殺害容疑で捕らえられている男が、女性を殺害後、その肉を食べた可能性のあることがわかりました。
男は米テキサス州スミス郡タイラー市に住むクリストファー・リー・マキュイン(Christopher Lee McCuin : 25歳)で、土曜日の朝方、911に自ら殺人を犯したと報告。これをうけて警察が現場に到着したところ、最初はナイフをもって身構えていたマキュインでしたが、すぐにナイフを落とし、自首しました。
その後警察官がマキュインの家を調べたところ、人間のものと思われる耳が鍋のなかで茹だっており、傍にはフォークの突き刺さった生肉が皿に載っていたということです。

殺害されたのは、同じスミス郡ホワイトハウスで郵便事務を仕事とするジェナ・シアラーさん(Jana Shearer : 21歳)。
目撃者の話によると金曜日の晩、シアラーさん宅を訪れたマキュインは、暫くするとシアラーさんを伴って外に出たといいます。シアラーさんの姿が見られたのはこれが最後。警察ではシアラーさんが軽装で財布や携帯ももっていなかったところから、マキュインの家には彼女の意志に反して連れ去られたものとみています。
シアラーさんの頭部には鈍器で殴られたような痕があり、これが死因となったようです。しかしどこで殺害されたのかはまだわかっていません。
「おそらくそれから、ピックアップの後部座席に載せられたんだと思うよ。まだ確かではないけどね」。スミス保安官の話によると、それからマキュインは午前3時頃に別居中の妻の家に立ち寄ったことがあきらかにされています。中にいた妻の彼氏、ウィリアム・ビーズリーさん(42歳)の肩をナイフで刺したマキュインは、通報を受けて駆けつけた警官の制止を振り切って母親と同居する自分の家に向かい、外から携帯で母親を呼び、「ピックアップを見てくれ。女を殺した」と告白しています。母親は家にいた彼氏とともにこれを見、家から逃げ出したといいます。
マキュイン自ら911に自分の罪を通報したのは、土曜日の9時58分でした。妻と別居中だったマキュインと彼女がどのような付き合いだったのかは不明。また殺害の動機その他もまだわかっていないようです。現在、殺人罪で起訴されているマキュインは200万ドルの保釈金で拘置されています。
シアラーさんの遺体は頭と胸から上を切り離され、残る部分はいくつかの肉塊に分けられていました。
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2007.10.04 (Thu)
トルコで初の人肉食

「人肉を食するということは極上の快楽だ。いったん味わったなら、いままで牛肉を食べてきたことが馬鹿馬鹿しく感じられるくらいだ」
トルコの首都アンカラ、ママク市で、55歳の男性、Cafer Erの殺害および死体遺棄の容疑で逮捕されたオズギュル・デンギズ(Ozgur Dengiz―27歳)はこう嘯きました。
街路のダストボックスに無造作に突っ込まれていたErの死体は、臀部などの肉を刮げ落とした惨いもの。捜査班は聞き込みから、Erがデンギズと言い争いをしていたとの情報を得、親と同居していた彼の住まいを捜索しました。結果、冷蔵庫から見つかった肉がDNA鑑定でErのものとわかり、デンギズが逮捕されるに至りました。
捕まったデンギズには良心の呵責などといった感情は表向き、見られず、当時の状況をこう供述しています。
銃を携えた私は、ママクブリッジで車から下りました。初めから人を殺すつもりでした。相手は誰でもよかったんです。公園をぶらついてベンチに座り、傍にやって来た掃除夫にいらついた私は、彼をターゲットとすることに決めました。背後から銃で二発。倒れた彼を背負って車の後部座席に押し込みました。
それから車にあった肉切り包丁で死体から肉を刮ぎました。最初ちょっと吐き気を感じたことを憶えています。でもその肉を口にいれてみると美味かったんです。尻と腿、腕などを大雑把に刮いだ私は、残りを布にくるんでトランクに入れ、捨てる場所を探しました。通りを流して周りに人影のないことを確かめてから、ダストボックスに死体を抛り込みました。肉はアパートの前で犬に少しやり、残りは家の冷蔵庫に入れました。
無表情に淡々と語るデンギズ。彼はときおりけたたましく笑い、取調官を呆れさせました。
彼が人を殺したのはこれが初めてではありません。17歳のときに諍いから友人を銃で殺害し、10年の実刑判決を受けています。ところが恩赦があり、わずか3年で出所。その後、今回と同じく掃除夫を銃で撃ち、腹などに怪我を負わせています。その他、デンギズの所持していた銃が、もう一件の殺人事件に使用されていたものと一致、こちらも後に自供しています。
デンギズの事件はトルコでは初めてのカニバリズムです。記事元では退役軍人の父と仕立て屋を営む母との確執、その結果息子に溺愛した母親のバランスを欠いた愛、デンギズの平衡を失った心などにスポットがあてられています。
無目的、無責任に、生きているという実感のないまま成長したデンギズは、周りの人々を「造りもの」として見、そこに感情が介在することをとことん否定してきました。彼は罪を犯したことを後悔せず、むしろ正しいことをしたのだと宣っています。「私は人々を罰したかったのだ。人肉を喰らいたいとの思いはこれからも消えないだろう」
しかし、この言葉こそが、彼としての切ないほどの希求、社会への関わり方だったのかもしれません。人肉はそれこそ「まういー(yum-yum)」だったよ」。彼はこう述べました。
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2007.08.30 (Thu)
同居人を殺害、舌と脳の一部を食べた?19歳の少年が逮捕

―BBCほか―
オーストリアのウィーンに住む19歳の少年が同室の男性を殺害、その遺体の一部を食べた容疑で取り調べをうけています。
この少年はロバート・アッカーマン(Robert Ackermann)で、ホームレスなどが居留していたウィーンの宿泊施設から、同居人ヨゼフ・シュワイガー(Josef Schweiger 49歳)殺害容疑で28日、警察に連行されました。
情報筋によると二人が居留していたのは、民間のアパートを国が家賃を負担するかたちで借り上げ、ホームレスや主に入院には至らないものの精神症に罹る人々に提供されていたもので、アッカーマンはここに今年8月に入居、シュワイガーさんは6月から居留していました。
ところが、28日、掃除婦が二人の同居する部屋にはいったところ、血の海のシュワイガーさんの遺体が転がり、アッカーマンの口許にはべっとりと血が付いていたことからパニックに陥り、アッカーマンは逆に彼女に正気をたもつよう宥めてから、警察に通報するよう促したといいます。
通報をうけた警察が駆けつけたところ、部屋のなかは凄惨そのもので、傍にあった22ポンドのダンベルで頭部を殴打されたのがシュワイガーさんの直接の死因と推定され、頭蓋の割られた遺体は喉から下腹部にいたって切りひらかれていました。また、キッチンにあった皿には舌と脳の一部が盛られていたといいます。胸および腹から内臓が摘出された跡はありませんでした。
警察ではDNA鑑定を含め慎重に調べを進めていますが、アッカーマンは口をつぐんだまま。 動機などを含め、詳細はまだわかっていませんが、シュワイガーさんの殺害されたのは掃除婦に発見される二、三日前と推定されるとのことです。
2007.07.24 (Tue)
10件現代真実人肉包子鋪案例(3)

四件目。時代はすこし遡って六十年代の天津。経済も低調で、肉や卵といった毎日の暮らしに直結する品々がまず庶民の消費の対象だった時代です。
ここ天津で肉まんを売る王さんの店にはいつも人々が行列を作っていました。そろそろ40歳を迎えんとする王さんは今が働き盛り。体つきは逞しく、それでいて人当たりはやわらかく、商売も客が子供や老人相手のときでもぼることはなく、まめで正直者だと評判でした。また独り身なのは、王さんいわく前妻が貧乏を嫌い男をつくって駆け落ちしたからだとのことでした。
肝心の肉まんの味はというと、これも汁に華やぎを感じさせるもので、遠くから王さんの店に肉まんを買い求めにくる客が多いのも頷けます。王さんは早朝4時には仕込みに入り、6時にはもう肉まんを篭いっぱいに盛って店先に並べました。風雨不改、寒暑不断―雨風に関わりなく、暑い日も寒い日も変わりなく、売れ行きがいいからといって手伝いを雇うわけでもなく、ただひたすらに毎日500個の肉まんを作って売る姿には、商売人というより職人を感じさせる王さんでした。
肉まんを求める客は6時前にはすでに行列をなし、8時半にはもう売り切れるといった案配。王さんの店には同じく肉まんを扱う同業者も多く訪れましたが、どうしたところで同じ味を再現させることは出来ません。王さんの作る肉まんは唯一にして無二。王さんの店でしか求めることは出来なかったのです。
さて、王さんが天津で店を出してから一年が過ぎた頃、子連れの女性が王さんの店を訪れました。女性はまだ湯気のたつ買ったばかりの肉まんを子供に与えます。しかしその肉まんを口いっぱいに頬張った子供は顔を顰めると路上に具を吐き出しました。
子供を窘めた女性は吐いた具をあらためます。白く固いものが指先に触れました。豚の骨? 同業ならずとも同じく商売を営んでいたという女性は、王さんの店のあまりの流行りように嫉妬を感じていたのかもしれません。女性はこの白い欠片を手に当局に通報しました。
当初豚の骨と思われた欠片は、当局の分析で驚くべき結果が示されました。人間の爪だったのです。当局はこれを王さん自身の爪だと判断、衛生的な見地より王さんの店に注意を促そうと局員を遣わします。
局員が訪れたとき、王さんは不在でした。鑑査目的で訪れた局員は手ぶらで帰ることも出来ず、店の調理場に入り、奥の穴蔵をあらためたその時です。
局員の目に映ったのは分断された死体と挽かれて緋色の縞の塊となった人肉でした。そこに居あわせた局員は残らず、胃の中のものをすべて吐ききるまで動けなかったといいます。
逮捕された王さんは、さして動揺する様子も見せずに淡々と語りはじめました。
あの日、男と逃げた前妻に沸々と煮えたぎるような憤りが天津で店を構えるようになっても止むことはなく、一年ほど前に物乞いに家を訪れた女の乞食にふと前妻の面影をみた王さんは、その場で女を殺害しました。
王さんいわく女を殺して憐れみを感じるというより、積年の恨みを解き放った歓びのほうが勝ったそうです。しかし残されたのは死体の片づけ。当時良質な豚肉を手に入れるのに苦労していたという王さんは、女の死体から肉を得ることを当たり前のように思いつきます。
人肉特有の臭みを消せば、あとは調理には豚肉も人肉も変わらなかったと語る王さんは、それからは物乞いを家に招いては殺害し、具材を得る毎日だったといいます。一年間で殺害されたのは男性3名、女性3名、7、8歳くらいの幼児1名の計7名に及びました。
すべてを語った王さんは銃殺刑に処せられ、家や店は没収されましたが、粛正の六十年代ゆえ、庶民への影響を怖れたことから事件は表沙汰にはならず、警察内部だけで処理されました。周囲に対しては王さんが盗みの罪で投獄されたと伝えられたそうです。
2007.07.23 (Mon)
10件現代真実人肉包子鋪案例(2)

三件目。これは映画「八仙飯店之人肉叉燒包(日本では「八仙飯店之人肉饅頭」)」のもととなった事件です。
夏真っ盛りの1985年8月8日、澳門(マカオ)は路環島の黒沙湾で泳いでいた海水浴客が、切断された人間の四肢を見つけたことからことは始まります。通報を受けた警察ではただちに打撈隊を編成、その日のうちに8件、数日内に都合11件のバラバラになった手足を見つけました。切断面から手足は鋭利な刃物で断ち切られたものであることがわかりましたが、それ以外に手がかりはなく、捜査は暗礁に乗り上げます。
翌年4月、警察のもとに一通の手紙が届きました。澳門にある八仙飯店の元経営者と名乗る鄭林という男からの手紙でした。その内容は、昨年8月より八仙飯店を共同経営していた長兄一家の姿が見当たらない、八仙飯店は現在、黄という男になかば乗っ取られているかたちだが、この黄という男が事件になにかしら関わっているような気がしてならない。調べてはもらえないだろうかというもの。
手紙を受けて行方不明者をあたりはじめた警察では、昨年の黒沙湾であがった切断された手足の指紋を調べ、なかに八仙飯店で働いていた従業員女性のものと思われる腕があることがわかりました。
警察は八仙飯店の新当主、黄志恆(50歳)の監視と内偵を開始します。
捜査の結果、八仙飯店の行方不明者は10名にのぼることが判明しました。内訳は前当主の鄭林(50歳)、その妻岑恵計(42歳)、娘の鄭宝瓊(18歳)、鄭宝紅(12歳)、鄭宝?(10歳)、鄭宝華(9歳)、息子の鄭観徳(7歳)、岑恵計の母の陳麗容(70歳)、親族の陳珍(60歳)、それと飯店の料理長を務めていた鄭柏良(61歳)の10名です。
このうちまずは、見つかった腕と照合した指紋が一致した陳珍殺害容疑で起訴された黄志恆は、家宅捜査で発見された鄭林の回港証(マカオ再入国許可証)や子女の学生証など家族名義の身分証を隠匿していた理由を問われて答えられず、自ら罪を認めるかたちとなり収監されました。
しかし捜査過程でわかったことはもうひとつ驚くべき案件でした。
男の黄志恆というのは実は偽名。1973年に香港の魚涌英皇道で起こった殺害放火事件の容疑者だったのです。この案件で男は金に困って被害者夫婦を風呂桶で溺死させるなどし殺害。家に火を放ちました。
男の本名は陳梓梁というもので、この事件の後に潜伏。指を火で炙り、指紋を消して身分を消し、マカオには密入国し黄志恆名義の身分証をねつ造していたのです。
こうして二つの凶悪な事件に関わった男は獄中の身となりましたが、残る殺害について審問が続けられている最中の1986年12月4日、牢獄で手首を噛み切って自殺しました。
11件見つかった手足は1件を除いて誰のものか特定はできず、肝心の胴体部分など10名分の遺体は最後まで発見されなかったことから、この事件は謎を呼び、肉をミンチにして飯店で賄ったという噂が飛び、映画のもととなった次第です。
2007.07.23 (Mon)
10件現代真実人肉包子鋪案例(1)

さて、ウチのようなサイトでは遅からず取りあげなければいけないでしょうから、この梅雨明けぬ鬱陶しい晩の暑気払いとして、中国の「人肉包子事件」をエントリーしましょうか。
元記事は、中国ならどこのメディアでも過去いちどは取りあげたことがあるでしょう、「10件現代真実人肉包子鋪案例」。このうちの一つのエピソードが返還前の香港映画、「八仙飯店之人肉叉燒包(日本では「八仙飯店之人肉饅頭」)」で描かれています。
原文はかなりの長文ですので分載にします。すべてお伝えできるかどうかは未定とさせてください。まずはその一件目です。
ときは八十年代初め、北京の西単で起こった人肉包子事件はセンセーショナルな猟奇殺人として大きな話題となりました。
事件の発端は中華まん店の主人が一人の客と諍いになり、その場で客を殺害したものです。ここで死体の処理に困った店の主人は死体の肉を挽き、中華まんの具として外売りに出しました。
結果、客の評判は上々。これが広まって店は忙しくなりました。恐々としていた店の主人でしたが、客が増えることによって肝が据わり、次々と殺人をかさねていくことになります。殺されたなかにはわざわざ地方から肉まんを食べに出てきた夫婦の姿もあったといいます。
肉の味に疑問をもったのはこの肉まんを食べた医師だったといわれていますが、ともあれ警察に通報がいき、公安がこの店を調べた結果、冷蔵庫から人間の大腿部が見つかりました。
二件目。こちらもやはり八十年代。事件は内モンゴル自治区赤峰市で起こりました。
この地に働きに出てきた女性がある日、交通事故で亡くなり、報せをうけた両親が娘の遺体をひきとるために田舎から出てきました。これからだというのに。悲嘆に暮れた母親が火葬に付される前の娘の遺体にとりすがります。しかし下肢の手触りが妙。被せられた布をめくってみると足が一本しかないことに気がつきました。
通報をうけた警察が真っ先に疑ったのは、この火葬場に勤める李なる男。後の供述により、事件の全貌が解明されました。
男の兄は赤峰市で肉まん店を経営していたのですが、当時は計画経済の由、豚肉も券による配給制。具材の不足から火葬場に勤めていた男が火葬前の遺体を切り分け、家にもち帰っていたのです。
こうした犯行は七年にもおよび、兄の店はその味のよさから評判が立ち、肉まんは「老子號」なるブランドで赤峰市の内外にわたって有名だったといいます。事件が世に知れて、赤峰市では悪心を訴える男女が相次いだといわれています。
2007.04.28 (Sat)
他人の赤ちゃんの遺体から、「人肉スープ」をこしらえた女

―広州日報―
亡くなったばかりの赤ちゃんの遺体を掘り起こし、その遺体から人肉スープをこしらえて患う息子に飲ませていた女とそのきっかけを作った夫婦の一審判決で、半年間の懲役が言いわたされました。
広東省仏山市の南海法院でひらかれた裁判では、阿貞とその夫である陳、スープをこしらえた阿貞の妹、阿燕の三名が侮辱屍體罪をとわれましたが、三名とも罪をみとめ、また人肉スープが万病を治すという言い伝えを二十年前に聞いた阿貞が、これを信じていたということも考慮され、半年という刑期になったものです。
事件が起きたのは昨年12月11日のことでした。
暖冬とはいえ冬の夜、10時をまわった南海区の獅山森林公園では詰所で保安員たちが暖をとりながら故郷の話に花を咲かせていました。そこに公園の見回りからもどった保安員がこう切り出します。
「今さっき三人で単車に乗ってきたやつらがいるんだが、電線盗られないように見張っといたほうがいいかもしれねえ」
詰所にいた保安員の姜と陳が懐中電灯を手に、三人を追いはじめました。暫くして向こうからやって来た三人に出会います。単車を押す男と付き添う二人の女。電線らしきものは見当たりません。保安員は三人を通し、念のため公園の奥をあたってみることにしました。
文字どおり森閑とした木立のなかで、陳の叫び声がひびきわたりました。陳は、赤ん坊の綿入れ、それに血のついたガーゼを見つけ、その傍にあった黒のビニール袋の中身をあらためていたのです。なかには切断された赤ん坊の頭部がはいっていました。
保安員の姜と陳の供述から、警察では12月13日に阿貞、阿貞の夫の陳、阿貞の妹、阿燕の三人を容疑者として連行、翌1月15日には三人への逮捕状を請求し、侮辱屍體罪で公訴しました。
当初は状況から遺嬰、故意殺人と思われていた事件でしたが、真相はまったくちがったものでした。
12月11日朝8時30分、路を挟んで阿貞の家の向かいに住む蒙さん宅で、ひとりの赤ん坊が生まれました。陣痛を迎えて救急車を呼んだ蒙さんでしたが、出産には間に合いませんでした。
出産の後に赤子と産科に搬送された蒙さんは、赤子の容態が急変していることを聞かされます。医者の説明では治療には1万元を要し、それでも助かる確率は五分といったものだったそうです。
甘粛から仏山市に働きに出てきて、ようやく所帯をもつに至った若い夫婦に1万元といったお金はありません。保証金を払えない夫は、午後1時、妻と生まれた赤ん坊ともに産科を後にしたそうです。夫婦で交替に胸に抱いてあやしながらも、赤ん坊の鳴き声は次第に弱くなっていきます。夫婦がおろおろと見守るなかを午後5時、赤ん坊は息を引き取りました。向かいに住む阿貞は夫婦といっしょにこの場にいたのです。
とつぜん阿貞は赤ん坊の処理を申し出ました。出産と死亡を半日のうちに味わった夫婦に動く元気はなく、阿貞に埋葬を委ねます。阿貞は深紅の綿入れにくるんだ赤ん坊の遺体をひきとると、蒙さん宅を出ていきました。
このときはまだ、近くのサッカー場に面した林のなかに穴を掘って赤ん坊を埋め、レンガを墓標としておいただけの阿貞でしたが、家に帰って横になったとき、ふと昔話を思い出したのだそうです。それは、19年前、阿貞が二十歳のときに市場で聞いた言い伝え、人肉はすべての病気を治癒するというものでした。
そして同時に思い出したのは、姉の阿燕の9歳になる息子のことでした。阿燕の息子は脳腫瘍で慢性の頭痛がやまないと年中こぼしていたのです。いま、自分の手許に委ねられた人肉がある。矢も盾もたまらなくなった阿貞は、帰ってきた夫の陳にこう切り出しました。…ねえ、ちょっと大事な話があるんだけど。
阿貞は最後には泣きながら夫に助けを求めたといいます。夫を渋々ながらも承諾させた阿貞は阿燕の家に電話をいれて訳を話し、阿燕を呼び出して、夫の単車で赤ん坊を埋めた林に向かいます。
そして掘り起こした遺体を森林公園に運んで首を切断していたところで、保安員が懐中電灯を照らしながらこちらに向かってくるのを見つけました。あわてた三人は包丁や綿入れ、赤ん坊の頭などをその場に放り出したまま木立を離れました。
翌日、阿貞から渡された赤ん坊の遺体から削いだ肉を角切りし、煮込む阿燕は調理場で手が震えたといいます。しかし調理を続けさせたのは、ただただ母親としての気持ちから。治る治らないは別として、藁にもすがりつきたい気持ちもふだんからずっともっていたことは確かなようです。三人は蒙さん夫婦に詫び、蒙さん夫婦も三人を赦しました。
スープはふた鍋こしらえ、その全ては息子が飲んだということです。味見のためにひと口すすったという阿燕は、息子にこう言って飲ませました。あなたの頭の痛いのがよくなるように、これは鶏のスープよ。飲んでみて。

HEAVEN 胎児スープ
2007.01.22 (Mon)
口論の末に隣人を殺害、その肉を食べてしまったカップル

―MOSNEWS― 上画像、モザイクなしはこちら。(ショッキング画像注意)
MOSNEWSといえば、一年のうち何度かは人肉食のニュースが伝わるのですが、こちらは自宅に立ち寄った隣人を口論の末に殺害、その遺骸を処理するのに困り、食べてしまったカップルのニュース。
これは、名前は明らかにされていませんが、ウクライナはマケエフカ(Makeyevka)の市街に住む36歳の男性とその彼女、34歳の女性が犯行をおこなったもので、被害者は48歳の隣人。
カップルはこの日、隣人を家に招待し、酒をふるまいましたが、酔いがまわるにつれて男二人の間で口論がはじまったといいます。 口論は数時間にもおよび、エキサイトした二人はケンカをはじめ、しまいには女も参加し、ナイフとハンマーを用いて隣人は殺害されました。
二人は遺骸の処分を相談したようですが、「いっそ食べちゃわない?」 と提案したのは女のほう。 そこで二人はまず体の柔らかい部分(tender parts)といいますから、腿から胸にかけてナイフを入れ、肉を冷凍庫にしまい、残りを下水に流したそうです。
インドの幼児大量殺人と同じく、この下水に流したことから発覚したのか、二人は殺害五時間後には逮捕されました。 警察によると、家には至る所に血痕があり、オーブンには被害者の肉を煮込んだ鍋がまだ熱いままのっていたといいます。 また二人の供述から冷凍庫にも肉があることがわかり、これも確認されました。
マケエフカ市では、2004年にホームレス同士が酒を飲んでのケンカで、二人が殺害され、肝臓を食われたという事件があったそうです。

HEAVEN MOSNEWS
2006.11.18 (Sat)
年下の彼氏を斧で殺害、遺体を調理して客にふるまった女

彼氏を斧で殺害後、その遺体を調理、肉料理などさまざまなメニューに誂えて新年を祝うパーティーの席で振る舞った女性が、懲役11年の刑を言いわたされました。
女性はロシア連邦を構成する共和国のひとつ、バシコルトスタン共和国のステルリタマクという小さな街に住む44歳で、年下の彼氏の浮気性に業を煮やした女性は彼氏との大ゲンカの末、あろうことか斧を持ち出し、彼氏を叩き殺してしまいました。
ここまでならさして珍しいことともいえない事件。 ところが女性はこの後、彼氏の遺体の皮を剥ぐと手足を切り落とし、頭は捨てて体の各パーツの肉を使い、新年会のための料理として誂えたのだそうです。
メニューはバラエティに富み、たとえば挽いてミンチにした肉はミートボールに、また手や足などの腱が多くゼラチン質が多く含まれた部分はダンプリング(蒸し団子)にと工夫が凝らされ、余った料理は隣人にたのみウォッカと交換してもらったりという無駄のなさ。
パーティーの席上、女性はミートボール、ダンプリング、スープにソーセージと、調理した肉をにこやかに振る舞い、招待客たちは人間の肉とは知らず、舌鼓をうってたいらげたそうです。 肉の味が妙に甘いと述べた客もいたそうですが、女性はとびっきり新鮮な肉だからとこれを却けました。
発覚したのは、宴が終わり、招待客の一人が女性宅のキッチンの冷蔵庫を検めたとき。 客が目にしたのは切断された人間の手でした。 通報を受けた警察が女性宅に到着し、その場で女性を逮捕。 女性は犯行を否定するでもなく、あっさりと罪を認めたそうです。
2006.08.20 (Sun)
モザンビークのカニバリズム

モザンビークのゴロンゴーザ警察は、食べる目的で埋葬された死体を掘り起こし、人肉や骨をあつめていた夫婦を逮捕しました。
直接の逮捕理由となったのは人間の内臓を所持していたためだそうですがこの夫婦、Neva Mafunga(50歳)とその妻Nhanvura Faera(34歳)は、人肉を食するようになってからすでに20年以上経つそうです。
二人が居住していたVanduziという村ではまだまだ呪物信仰が根強く、どうやら夫婦はこの村において人々の病気や悪習を取りはらう術師の役割を担っていたようで、人肉を食べることはその治癒のパワーを強め、自らをも壮健にするためだったと供述しているそうです。
二人を取り調べているゴロンゴーザ警察のJose Cumbe司令は、二年前に当地に配属されてから、カニバリズムの風習を自認する者を実際に見聞きしたのは初めてだと話していますが、まだまだ噂や口伝てとしてはあったということなのでしょうね。
供述によると、妻のNhanvura Faeraは、夫の命令で仕方なく口にしたのが始まりだと述べているそうです。