2015.06.09 (Tue)
Kim Jung Gi Drawing (video)
―Kim Jung Gi―
パースもアタリもとらずに下書き一切なし。筆ペンのみで描き上げる韓国のアーティスト、金政基(Kim Jung-Gi)。
彼の作品は海外では doodle art(落書きアート) に分類しているところもあるみたいですが、わたしはこれは超絶技巧のイラストかと。好きなアーティストです。
リンク先には動画がたくさんありますので、どうぞ目の保養に。
Tags : Videos |
神。
ふつう筆ペンで書く?
頭の中で絵が完成していて、手がプロッターのように
正確に描画しているように見える。
まさに超絶技巧!
自分にもこんな才能があったらな~
天才すぎるやろ
メカイラストは大塚康生さんとか松本零士さんも好きですが、この人もイイ。
人物描写は大友克洋さんの漫画を思い出しました、いい作品いっぱいあるんだよな最近描かないけど。
イラストでなくて漫画だけど面白いのは田中圭一。最近は見ないけどトニーたけざきの画力もすごい。
手塚治虫大先生もいろいろなイラストを下書きなしで書いたとか。やっぱり大量にイラストを書くとそーゆー能力が付くのかな。
そうそう。映画チャッピーを見ました。天国で手塚治虫さんが地団駄踏んで悔しがりそうなほど良く出来たSF映画でした。
池田学さんと似た系統なのかな?
ま、そもそも何故そんな所に一升瓶が有るんだ?っていうのもね。
でも、確かに凄い画力だとは思う。
韓国も中国も、ダメなのは国家そのもの。
まあ、日本も国民がしっかり統制されてるから暴動が起きないだけ、なんだがね。
モチーフはやや怖い。解剖解体が多いですね。
重い作品を重く仕上げたら純芸術になるだろう。
ないと書けないもん。
漫画家とかはどこからでも絵を掛けるって聞いた事があるけど、そのレベル
とは次元が違うと思う。
サヴァンか何かの資質があって、それをアレンジした画像をイメージとして
記憶できるんじゃないの?
この才能は羨ましいわ~
韓国人もこういう人を自慢すりゃ良いのに。
彼は1冊1000ページにも及ぶ、スケッチ類をまとめた画集を2007年、2011年、2013年と、3冊出していて
http://www.kimjunggius.com/ こちらから本をクリックするとそれぞれの内容を見ることができます。
あるいは、http://www.cheshirecatart.com/blog/?p=411 http://www.cheshirecatart.com/blog/?p=2365
それを見るとまあフツーではない努力に呆れると共に、やっぱ天才というのは努力が99%なのだろうなって納得したり。たとえば単車のエンジンみたいな複雑なものでも、100回スケッチすれば、なんとかそれらしきものをそらで描けるようになるってありません? おそらくはそれの積み重ね。数千、数万とスケッチを重ねれば神の視点が得られる、そういったことかもしれません。
もっとも作品ごとに完結していない、といった点で、技量には圧倒されてもなぜか心はいまひとつ揺さぶられないのですが…。
私も全く同感です。パーツの引き出し、いいねぇ。スケッチを重ねれば神の視点、いいねぇ。
技量には圧倒されてもなぜか心はいまひとつ揺さぶられない、いいねいいねぇ。
グリーンDAKARAでも飲んだ時のような心地よい言葉の繰り出し。
で、やっぱり思うんだ。誰でも出来る。同様に、花を描く人も多いし、女体を描く人もいる。
私は何故か昔からカエルを描くのが定着していて、昔は多くの人達にその絵が喜ばれた。
去年、親戚の子らに書いてあげたら無表情で眺めてから自分のお絵かきに戻った。
「あれ?喜んでない・・・」もう、カエルはやめます。
ちゃんと機械の動きや仕組みをわかった上で描いている…
すごいです
よいものみせてもらいました
安彦良和とか天野喜孝とかその辺
こういう人絶対脳みそにエクストラな機能持ってるよ
ワタシら凡人は画像ベースで想像しても、これを脳内で一旦テキストベースに変換しないと脳というストレージに保存できない。
おそらく一時保存メモリに置くのが精一杯。夢を見るのも同じで目覚めた瞬間は覚えていてもストレージに保存できないからすぐ思い出せなくなる。
メモリのデータはすぐにぐにゃぐにゃ変化して構図も怪しくなる。描くという出力タスクが加わった段階でそっちがメモリを喰う。
画像ベースのデータは脳内保持が難しい。(見たものが記憶出来るのとはたぶん別メカニズムだと思う)
女子学生スナイパーの絵を思い描くとき。銃はバイポッド付きのボックスマガジンで持ってくるためのケースは背負えるソフトタイプ・・・・
というようにテキストに変換すれば記憶できるのにイメージでは記憶できない。そして緻密な絵を描くには膨大なテキストデータが必要になる。
だから細かくかけない。
安彦良和さんや大塚康生さんはストーリーや文章も書くのであるいは絵を一旦文章で脳内においているかもしれない。
そーいえば観光するときにパシャパシャ写真を撮ると写真には残るが記憶に残らないという話を聞いたことがある。
これも写真を撮るという行為でメモリを喰われて、見る→画像をテキスト変換→ある程度のイメージデータとテキストデータでストレージに保存という行為が阻害されるのかもしれない。
うーん。この辺もう少し考えるとヒトの可能性向上に役立ちそうなんだけどな。
同時にぶつぶつしゃべることはあっても、テキスト変換ではない。それをやるのは、アスキーアートくらいなのでは?と思った。
以前読んだ、逢󠄀坂剛の「さまよえる脳髄」は面白かった。人の言語機能は左脳が担っている。右脳と左脳とを繋いでいるのが、
太い神経の束である脳梁で、それが傷んだ場合、右手と左手とが別の人格として別々の動きをする場合がある。
例えば、左手がある人の首を絞めるが、右手はそれを止めようとする。但し、右脳にはない筈の言語機能も個人差がある。
というような記述があって、内容は事実に則した記述とのこと。とても興味深いものでした。
つまり、脳には個人差があるということです。ただ、上の記事の彼は、あくまでも「慣れ」だと思うのです。
その慣れまでは膨大に費やした時間と努力はあったでしょうが、同じことをすれば誰でも出来るとは思います。
努力しても届かない領域だと感じないからです。届かない領域だと感じるのは、音楽の世界に多いと、私は思います。
ご本人も、描きながらいろんなストーリーをどんどん膨らませて描き足しているように思います。
鳥獣戯画を連想してしまうのは、動物たちの表情や仕種が生き生きしていて、
今にも動き出しそうなほどに自然な形をしているからでしょうね。
どんなにラフなイラストでも、ちゃんとデッサンを学んで正確な骨格や体の動きを
理解している描き手が描くと「生き生き」した絵になりますもんね。
わたしゃメカ類にはとんと弱いのですが、メカをよく知る人ならば、やっぱり
デッサンを積んだ人の描くメカは、生き生きと、今にも動き出しそうに見えるのでしょうね。
細密画なら、私の大好きな水木しげる氏の作品も圧倒的だよう。
私は原画を見た時、しばし呼吸を忘れて見入りましたっけ。と、場違いだろうが推してみる。
メカには弱いのですが、昔、鳥山明の描く、ア○レちゃんの扉絵の緻密さと
メカや乗り物のかっこよさには、うっとりと眺め入ったものです。
あれも、原画を見たらきっと釘付けになるだろうな。
ていうか、私の例に挙げる人、古いなー。年がバレるな。
って、漫画家たちと並べたら失礼?
でも、漫画家とはいえ、画力はそんじょそこらの画家に劣らない人も多いし、
この人も漫画チックな作品が多いから、怒らないよね。
5はいささか反日…というか、日本への嫌味を込めた絵かも、と思いました。
なんだかまとまりのない、言いっぱなしのコメントで失礼します。
軽くレストアするくらいバイク好きで工場お邪魔したときの資料を元に
ハァハァ良いながら手癖なるほどクッソほど書き込んだのを
バランス崩れん程度にダーっと吐き出してるように見えるわ。
トレイの上にラチェット書き足して黒ベタしたり、
とっさのフレームのみも書いときますか感とか、
んじゃキャブいじりジジもわすれちゃいかんよな感とか。
こうゆーのめっちゃ好きだけど
精密技巧ではなくてやっぱ落書きかなって感じ
こうゆーのめっちゃ好きだけど
あとチキせっくすしよ
おそらくは金政基、大友克洋や鳥山明、寺沢武一などの影響を多分に受けていると思いますよー。
もちろん民族主義的な絵 [https://www.youtube.com/watch?v=3oQEPB0Lus4] はあったとしても、日本のサブカルをリスペクトしている RigVeda Wiki [http://rigvedawiki.net/%EA%B2%8C%EA%B2%8C%EA%B2%8C%EC%9D%98%20%ED%82%A4%ED%83%80%EB%A1%9C (リンク先は「ゲゲゲの鬼太郎」のページ)] の住人同様、反日感情はそれほど強くない気がします。あくまで推測ですが。
こんな才能の欠片でも俺にあったらいいのに。
ひとつの「パーツ」でも部分的な線の強弱にこだわりが感じられる。物語は1枚の中に詰め込まれている。
大友克洋氏は物語を描く。
ストーリーを追ってページをめくっていって見開きでインパクトを受けるという読み手のリズムをコントロールしている。
見開きページでも見せたいところだけを描きそれ以外は省く。
1枚の絵で見ると多少類似点はあるかもしれないがぜんぜん別物に思える。
コメントを投稿する