2013.05.12 (Sun)
人民網の「琉球(沖縄)問題を再び議論する時が来た」を受けて―環球網
―環球網 (China), 人民網 (China)―
8日「人民日報」は「歴史的に解決していない琉球(沖縄)の問題を再び議論する時が来た」と題する署名記事を掲載しました。これに対する日本の反応は大きく、中国側に抗議するばかりでなく、安倍首相は世界に向けて日本の立場を表明すると述べています。
また、これに関して米国務省は「米国は沖縄に日本の主権が及ぶことを認識している」と述べています。
沖縄は1971年、米国が占領していた琉球群島を、返還協定の名の下に、中国には全く意見を求めずに日本に譲渡されました。そこに違法性の根拠があります。
琉球は釣魚島(尖閣諸島)とちがって、歴史上中国とは属領関係にありました。
中国は3段階に分けて琉球問題を提起することができます。
琉球の歴史についての討論をひろく民間を通じて行い、琉球国の正当性、日本が不法に占拠しているのだということを世界に広めていくというのがまずひとつ。
次に日本の対中戦略を見極めた上で、中国政府の琉球問題に対する姿勢を変更、明確化し、国際会議などの場で提起することを決定。
第3段階で琉球地区に「琉球国復活」に向けた勢力を育成。これから先、20-30年後の実力の推移により、それは十分可能であるはずです。日本が米国とともに中国の将来の国際戦略に脅しをもって立ちはだかるならば、中国は琉球を日本から分割させます。
日本はこれまで中国に対してたび重なる犯罪を行ってきた国家です。
そして今日に至ってもなお、中国の国際戦略の前に立ちはだかり「樹欲静而風不止(樹静かならんと欲すれども風止まず)」といった妨げを引き起こしています。
中国はこれまでずっと日本と友好的であろうとしてきました。しかし悪化するばかりの中日関係において、中国は米国に匹敵する大国として、日本の海賊のような振る舞いに対抗しなければなりません。
中日関係というのはいわば「三十年河東、三十年河西(三十年前は東側がよかったが三十年後は西側がよくなった。栄枯盛衰のたとえ)のようなものなのかもしれません。
この得がたい朋友と今後とも文明的な関係を築くことは可能ですが、和平の主導権は総合的に国力が上回った中国に歩があります。
琉球問題を提起することが周辺民族との軋轢を増すことにつながることはありません。むしろ民族問題は将来的には解決され、それに伴う外部からの影響もだんだん少なくなっていくことでしょう。
衰退しつつある日本の恨みが中国に向かっていることを踏まえ、中国の国際戦略に対して圧力が生じたなら、私たちはその突破口を日本に対して求めることでしょう。
琉球問題は各種の可能性をはらんでいます。
2度の世界大戦で色んな地図がリセットされたんだし、
何百年前から~とか言い出したらイカン
>沖縄は1971年、米国が占領していた琉球群島を、返還協定の名の下に、
>中国には全く意見を求めずに日本に譲渡されました。
>そこに違法性の根拠があります。
正
米:さぁ、戦争も終結したし占領の話をしようか。
中:めんどくさいからヤダ。
米:いらないの?
中:そんなちっぽけなのいらない。
米:んじゃ俺が好きにするぜ。
中:どうぞどうぞ。
という事をきいていますが?
歴史上?
歴史上というのなら、
現「中華人民共和国」は「中華民国」であったのでは?
「中国は一つ」というのなら、中華人民共和国政府を解体して中華民国に明け渡すのが筋でしょ?
都合のいいところだけ抜粋するんじゃないわよ。
からの日中開戦からの日米安保発動からの沖縄本土決戦となるか。
もし、そうなったら石原翁のワイハ発言は戦争の切っ掛けとなるんだなあ。
中国経済が破綻して中国人民の不満が中共に向けられたら
マジで戦争起こしそうだもんなあ。沖縄本土決戦はさすがに
無いだろうけど、ミサイルくらいは飛んでくるだろうね
100発同時に射たれたら撃ち落とせないよ、たぶん。
中国は見え透いた嘘ばかり並べ立てるなぁ。
大体同じ理屈で物言うなら
日本に占領されてた中国は日本じゃねーかよ
歴史的従属関係を考えるならモンゴルに全土返せってだれか言ってたが。
成金というのは妄言を吐く。
いや日本もバブル華々しいときそーだったんだけどね。アメリカ買い取っちまえとか。そしてバブルが弾けてダメになった。
さて中国は(中国共産党は)どう崩壊するんだろう?
これがイヤン
そこで
欧州の経済がぽしゃる>日本の円で世界の市場が潤う(円安)
TPPに参加する>米は中国を経済圏から外す
多分その仕組みを調整した
で
日本が退く(冷戦)>欧米は中国に投資しない>中国の経済が止まる>軍備は停滞する>北西太平洋の安定化
とする
中国13億の市場というが
あそこの国は都市部の数千万が人間らしい暮らしをするために残りのほとんどをどーぶつ的
労働力として搾取しているので西方世界の常識で云う市場人口は一億もいない
変化の兆しとして儒教的教育を受けたホワイトカラーがスタッグ(ローン地獄・市場暴落)し
一方工業の維持に必要なブルーカラーが社会的地位を築いてきている(非儒教的な実質主義の集団)
唯忘れてはならないのは為政者は新興勢力を好かないのモノ 必ずガラガラポンする
中国のガラガラポンは・・・
唯今回は21世紀である訳で ブルーカラー達が責任のある社会を求め便乗するホワイトカラーが居れば
天安門ライクなことが起きるか 中華がEUならぬ CHINISE UNION (CU)になるのか
日本は隣国が少々勢いづくと領土問題を起こして 海上警備や国防に付く人達に過度な負担を強いない国勢が大事
独立なんて言うのは百害あって一理無し むしろ国から何千億ももらっといて文句言うな と言う感じ
元中国人の仲井間知事や反戦みずほタンはその辺り、どお思っているのか聞いてみたい。
困ったときにだけ米軍や自衛隊を頼るのか、
北京原人相手に対話だけで解決できると本気で思っているのか。
私的な意見としては核武装した国防軍に守っていただきたい次第であります。
米軍はあくまで助太刀で、自国は自分たちの手で守るのが基本だと思います。
また、非核3原則とかきれい事言って、その実体は
アメリカの核を含めた軍事力に頼りきりというのはなんとも情けない気がします。
カイロ会議は1943年11月22日から26日にかけて開催され、その間蒋介石とルーズベルトは四度にわたって会談した。11月23日夜、蒋介石は王寵恵を引きつれてルーズベルトと単独で会談、日本が太平洋で占領した島を奪い返すことについて話している時、ルーズベルトは琉球諸島を思い出した。
彼は蒋介石に言った。「琉球は多くの島々が連なってできている孤形の群島だ。日本は昔、不当な手段でこれら島々を奪ったのだ。取り返さねばならない。私が思うに、琉球は地理の上で貴国と非常に近く、歴史上貴国と密接な関係がある。貴国がもし琉球諸島を望むならば、貴国の管理下に置いてもよろしい。」
ルーズベルトは突然、琉球諸島を中国に渡すことを提案したが、これは蒋介石のまったく予想せざることであり、どのように答えてよいか分からなかった。半日後、彼はようやくルーズベルトに言った。「わたしはこの諸島はまず中米両国で占領し、それから国際信託統治下に置き、中米のために共同で管理してくれるのがよいと思う。」
琉球諸島は中国台湾島と日本九州島の間に位置し、先島諸島、沖縄諸島、奄美諸島、大隅諸島などの島々を含み、面積は約4600平方キロメートル。12世紀、琉球諸島には中山、山南、山北の三小国が出現、1372年に中国明朝に朝貢を始め、国王たちはそれぞれ明朝の冊封を受け、官民と中国との交流は極めて盛んであった。
この後、この群島は統一されて琉球王国となったが、依然として中国に朝貢をつづけた。1609年、日本薩摩藩の諸侯島津氏は武力を用いて琉球を征服した。この後、琉球王は明朝と薩摩藩と同時に進貢したものの、なお中国の冊封を受け、またそれが清朝まで続いた。琉球国王は一貫して中国の冊封を受け、交流の点でも中国に重心があった。
日本の統治者はこれに対して大いに不満であり、琉球が中国に併合されることを非常に警戒していた。1872年、日本明治政府は中国と相談することもなしに琉球王国を廃止して琉球藩とすることを強行した。1879年、日本は再び琉球藩を併呑して沖縄県を設置した。
日本の琉球に対する強制的な侵略は多くの国家の不満を引き起こし、琉球人民もかつて色々な手段を用いて反抗したが、すべて失敗した。琉球諸島は中国大陸の東の大門に当たり、歴史上も中国と密接な関係にある。ルーズベルトが、日本が武力で侵略した琉球諸島を中国に渡そうとしたことは、彼にも考えがあってのことだろう。ただ蒋介石の優柔不断な態度により、ルーズベルトの最初の提案は成功しなかった。
日本を恐れることによる、蒋介石による二度目の琉球領有拒否
11月25日、蒋介石とルーズベルトの二度目の会談の際、再び琉球群島について話しが及んだ。ルーズベルトは言った。「繰り返し考えてみたが、琉球諸島は台湾の東北にあり、太平洋に面している。君たちの東の要衝であり、戦略的地位は非常に重要である。君たちは台湾を手に入れて琉球を手に入れないならば、台湾は安全とは言えないだろう。さらに重要なのは、この島は侵略癖のある(侵略成性)日本に長いこと占有されていてはいけない。台湾と澎湖諸島と一括して君たちが管轄しては?」
蒋介石はルーズベルトが再びこの問題を持ち出すのを見て、琉球が日本に占領されて長い年月経っているのに、国内で草された会談の方針プランの中に琉球問題が含まれていないことに想到し、非常に躊躇した。ルーズベルトは蒋介石が半日も黙り込んでいるのを見て、彼がはっきり聞き取れていないのかと疑い、さらに一言付け足した。「貴国は琉球が要らないのですか?要るのなら、戦争が終わったら琉球諸島を貴国に渡しましょう。」蒋介石は躊躇すること再三、最後にこのように答えた。「琉球問題はやや複雑ですので、やはり先ほどの通り、中国とアメリカで共同管理するのがよかろうと思う。」
ルーズベルトは納得した。蒋介石は本当に琉球諸島を欲していないのだ。蒋介石の琉球諸島に対する態度が、ルーズベルトには不思議だった。
これ以降、ルーズベルトとアメリカ側の人員は蒋介石に二度と琉球について話を持ち出すことはなかった。
蒋介石はこの時どうして琉球諸島を拒否したのか?後に蒋介石についてカイロに行った国民党官僚らの分析によると、彼がカイロに行った主要目的は東北地方、台湾と澎湖諸島の奪取にあったのであり、琉球については案になかった。蒋介石は東北地方と台湾、澎湖諸島が返ってくれば十分と考えていたのだ。もう一つの原因は、日本はアジアの強国であるから、蒋介石は中国が琉球を獲得した後、日本が後になって中国といがみ合いになり、日中両国が再び新たな怨恨を生ずることを恐れたのである。
蒋介石が琉球諸島領有を拒み通したために、「カイロ宣言」で日本が中国に返還せねばならない領土を記す時、ただ「日本が掠め取った中国の領土、例えば満州、台湾、澎湖諸島など」と書かれるのみで、一字たりとも琉球諸島に触れなかったのである。
http://yanhuile21.at.webry.info/201212/article_4.html
ヒトラーの時代から進歩してないね、中国って。
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